津川代官所(阿賀町)概要: 津川は古くから交通の要地として知られ阿賀川舟運の発達によって経済的にも要となった場所で、中世から近世にかけては会津領に属し、歴史的には福島県との繋がりの強い地域です。芦名氏の時代から対岸の麒麟山に城が築かれ、対上杉氏への戦略的拠点となっていました。江戸時代に入り、一国一城令が発令されると津川城は破棄されましたが、津川の町の重要性から町並みの中心部に代官所が設けられます。江戸時代末期の戊辰戦争(会津戦争)の際には逸早く新政府軍に降伏した新発田藩(本城:新発田城)から越後街道を西上する新政府軍を迎え撃つため、津川代官所も会津藩の拠点の1つとして300名の兵が集められましたが、各地で敗退を重ね、兵は鶴ヶ城(福島県会津若松市)に撤退しています。会津藩が降伏すると廃藩となり、津川代官所も廃され、現在は建物などの遺構も無く敷地内には「狐の嫁入り屋敷」が建てられています。
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