津川河港(阿賀町)概要: 津川河港は古くから阿賀野川舟運の河港として栄えた場所です。会津藩は海産物や塩、廻米の輸送など阿賀野川を利用した事から江戸時代以降に舟運が飛躍的に発展してきました。津川河港は会津藩の入口にあたる地理的条件などで舟運の中継地点として藩の施設である藩蔵や船番所が置かれ、問屋や旅籠、米蔵など多くの建物が建てられました。
津川河港からの上流の一部が難所として舟運船が通行不能な事から、上りは津川河港で一端荷物が降ろされ、人馬に荷物を積み替えて陸路で再び舟運船が利用出来る河港まで運び、そこから会津まで船で運びました。逆に会津藩の年貢米や特産物は津川河港の上流で一端荷揚げされそこから陸路で津川まで運ばれ、津川から阿賀野川を一気に降り新潟湊で北前船などに積み替えられ大坂まで運ばれました。
津川河港は最盛期には150隻の船が出入りし100人を越える丁持衆が働いていたと云われ日本三大河港に数えられていました(日本三大河港:阿賀野川、津川河湊「新潟県阿賀町」・利根川、関三河岸「千葉県野田市関宿町」・旭川、勝山河岸「岡山県勝山町」?)。
明治11年(1878)7月1日に津川を訪れたイギリス人女性紀行家であるイザベラバードは7月3日に津川河港から船で出航し阿賀野川を下り新潟港に向かっています。明治時代中期以降になると近代交通網の整備やダムの整備などにより急速に衰退しました。津川河港は船着場跡が残され歴史的に貴重な事から平成17年(2005)に阿賀町指定史跡に指定されています。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-阿賀町教育委員会
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