華報寺(阿賀野市)概要: 五頭山華報寺は新潟県阿賀野市出湯に境内を構えている曹洞宗の寺院です。華報寺の創建は大同年間(806〜810年)にこの地訪れた弘法大師空海が五頭山の山頂に五頭権現を勧請し山麓に堂宇を建立したのが始まりとされています。一説には天平年間(725〜749年)に行基菩薩が五頭山で修行した際、霊木から4躯の優婆尊像を彫刻し一宇を設けて安置したのが始まりとし、現在、華報寺の本堂で安置されている1躯の優婆尊像は4躯のうちの1つとも云われています。
領主である城氏から乙宝寺(新潟県胎内市)、法音寺(新潟県新発田市)と共に領内3カ寺として庇護され、さらに、五頭山は山岳信仰の拠点の1つとし大きく繁栄、全盛期の鎌倉時代には4支院、32坊を抱える大寺院となり周辺にも大きな影響力をもちました。
その後次第に衰退し、文明9年(1477)に現在の村上市にある耕雲寺(越後四ケ道場)の住職だった大安梵主が再興し当初海満寺と称していた寺号を華報寺と改名しています。現在の本堂(寄棟、銅板葺、平入、桁行9間、正面向拝付)は戦後再建されたもので蒲原三十三観音霊場の第二十番札所(札所本尊:聖観世音菩薩・御詠歌:尋ね入る 出湯の山路の 奥深き 峰よりはるる五頭の夕立)となっています。
又、華報寺境内に隣接して弘法大師空海が開湯したという「華報寺温泉(源泉名:出湯温泉漲泉窟・泉質:アルカリ性単純温泉・無色透明無味無臭)」という共同温泉があります(別説では空海以前から既に温泉があったとも)。境内に建立されている板碑(六字名号塔婆)が阿賀野市指定文化財に指定されています。又、背後の墓地には水原左近将監平元信夫夫妻墓と伝わる宝篋印塔が建立されていて歴史が感じられます。
華報寺の墓地からは鎌倉時代の工芸品など様々な遺物が発見され、その内、明治38年(1905)に発見された銅製筒(骨蔵器)1口、須恵器壺3口、銅製和鏡2面、銅製観音立像1躯、陶製小壷1口、石櫃(骨蔵器外容器)1個、合計9点が昭和27年(1952)に新潟県指定有形文化財(工芸品)に指定されています。
同じく骨蔵器(瓶:珠洲焼系、蓋:常滑焼系、経筒:銅板、「如法守護 三十番神 十羅刹女 正安元年(1299) 大歳己亥 九月廿八日 越後国浦原郡白 河庄上条堀越住 檀那沙弥鏡智其 子息本願聖人理心」の銘)が一括して昭和51年(1976)に新潟県指定有形文化財(考古資料)に指定されています。
同じく発見された宋竜泉窯青磁四耳壺(附:陶製自然釉瓶子1口、白磁水注1口、陶製自然釉四耳壺1口、銅製釜蓋1個、鉄製釜残片若干)が和27年(1952)に新潟県指定有形文化財(工芸品)に指定されています。山号:五頭山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦牟尼仏。
華報寺:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-華報寺護持会・阿賀野市
|
|