三国街道: 湯沢宿(新潟県南魚沼郡)

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概要・歴史・観光・見所

湯沢宿(新潟県南魚沼郡)概要: 湯沢宿は三国街道の宿場町で、三股宿と関宿との間にあり三股宿までは2里8丁、関宿までは28丁の距離にあります。上宿と下宿に分かれていて2つの宿を合わせて湯沢宿と呼んでいたようです。

2つの宿は概ね半月交代で宿役を変更し、負担を軽減していたようで、上宿の本陣である高橋助右衛門家(村松屋:本陣役の他、問屋、庄屋などの上役を歴任)が大きな影響力を持っていたようです。

又、平安末期に高橋半六(高半旅館の祖)が偶然に発見して以来、温泉地としても知られ、鉄道が開削されるとスキー場の開発などによりリゾート地として発展しました。現在は近代化して江戸時代の三国街道の宿場町の雰囲気は薄くなっているようです。

鎮守と思われる熊野神社の創建は応永9年(1402)に勧請されたのが始まりとされる古社で、氏子は熊を熊野神の使いとして狩猟するの禁じ、決して熊肉は食べなかったとされます。

古くから神仏習合し別当寺院である湯沢駅前の主水山大岳寺が祭祀を担っていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により大岳寺とは分離し現在の社号である熊野神社に改めています。社殿は入母屋、鉄板葺、妻入、間口2間、奥行2.5間、正面1間唐破風向拝付。祭神:櫛御気野命。

又、戦国時代には戦略上の拠点となり、宿場外れには天正6年(1578)に上杉影勝によって荒戸城が築かれていました。荒戸城は上杉家の跡目争いである御舘の乱で上杉影虎の実家である小田原北条家の越後侵攻を押えるもので、小規模ながら堅城として知られました。現在でも本丸や二の丸、三の丸、土塁、空堀などの遺構が残り中世の山城跡として貴重なことから昭和51年(1976)に新潟県指定史跡に指定されています。

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湯沢宿:町並み:写真

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