南魚沼市: 樺沢城

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概要・歴史・観光・見所
樺沢城(南魚沼市)概要: 樺沢城の築城年は不詳ですが南北朝時代、樺沢城田中右衛門尉(新田義貞の家臣)が利用していたとされ鞠子城と呼ばれていました。戦国時代に入ると上杉謙信の重臣である長尾政景の居城として整備され重要視されました。政景は謙信の実姉である綾姫(仙桃院:上杉景勝の実母)を正室に向かえ春日山城の留守居役などを歴任し、次男景勝は謙信の養子にもなっています。政景が春日山城の留守居役になると家臣達が在番し、関東遠征の際には拠点の1つとして機能しました。謙信が死去すると景勝と景虎が後継者争い(御館の乱)となり、景虎の親戚筋である北条家が越後に侵攻し樺沢城は落城、当城が北条家の拠点として利用されています。冬季になると雪の為、多くの北条兵が関東に退いた為、景勝が攻勢に転じ樺沢城を奪取し、景虎も鮫ヶ尾城で自刃しています。その後は、上杉方の城として機能しましたが慶長長3年(1598)に景勝が会津黒川城(福島県会津若松市)に移封になると樺沢城は廃城になったと思われます。

樺沢城は標高300m比高80m程度の中世の山城で山頂の本丸を中心に二ノ丸、三ノ丸、西ノ丸、帯曲輪などの主要な郭があり、要所には空堀、堀切、竪堀、土塁が配され実践的な城でした。現在でもこれらの遺構が残り昭和41年(1966)に新潟県指定史跡に指定されています。

樺沢城:上空画像

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-樺沢城跡保存会


樺沢城:ストリートビュー

樺沢城:写真

樺沢城
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