秋葉神社(長岡市)概要: 秋葉神社は遠州秋葉山(静岡県浜松市天竜区)と共に秋葉二大霊山の1つに数えられ、創建は天文20年(1551)に常安寺の鎮守社として上杉謙信が岩野蔵王堂から現在地に遷座した伝えられています(秋葉信仰:三尺坊を継承する般若院が寺領共に常安寺に寄進された。岩野蔵王堂本体は三島郡寺泊矢田を経て現在の市内にある蔵王堂金峰神社として継承)。
祭神である三尺坊は元々は信州飯縄山出身の修験僧で岩野蔵王堂にある十二坊の内の三尺坊で厳しい修行を積み法力を得て神格化されました。遠州秋葉山の創建は大宝元年(701)、行基菩薩が開いたとも三尺坊が遠州まで白狐に乗って開いたとも云われますが実際遠州で秋葉信仰が広がったのは戦国時代後期以降で(永禄12年:1569年が初源)、江戸時代には当社と遠州秋葉山との間で本社争いでは寛保3年(1743)に遠州は根元、越後は根本との幕府社寺奉行の裁定されています。その後は火伏せの神(火防日本総本廟秋葉三尺坊大権現)として信仰が広く全国から参拝者が集まったとされ多くの算額や絵馬などが奉納されています。
秋葉神社の拝殿は安永5年(1776)に建てられたもので、三間四面、入母屋、瓦葺、屋根正面に大きな千鳥破風がある建物で、鰐口や正面入口上部に仁王面(烏天狗面:祭神の秋葉三尺坊大権現の姿は烏天狗のような姿をしていた)のような面があることからも神仏習合の名残が見られます。
弘化3年(1846)に建てられた本殿は奥の院と呼ばれ、拝殿から少し離れた位置に建立、組物や建物の美しさに定評があり、特に安政年間(1854〜1860)に江戸雑司ヶ谷の石川安兵衛(石川雲蝶)と熊谷の源太郎の2人が8年間という長い時間をかけ彫り込んだとされる彫刻(「烏天狗酒宴の図」・「烏天狗敗北の図」・「牛若丸、烏天狗試合の図」など)が建物全体に施されています。拝殿(附:狛犬・石灯籠)、奥の院共に長岡市指定有形文化財に指定されています。
秋葉神社に掲げられている算額は明治26年(1893)に奉納されたもので、長岡出身の数学者、諏佐嘉右衛門嘉継とその弟子によって出題されました。問題は全部で3問で当時の高等な数学術を伝える貴重なものとして昭和48年(1973)、長岡市指定有形民俗文化財に指定されています。
秋葉神社:上空画像
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