初君旧歌碑(長岡市)概要: "玉葉和歌集"の編集者、藤原為兼(京極為兼:鎌倉時代後期の公卿、歌人)は、永禄6年(1298)に天皇に持明院統を擁立しようと画策した罪で佐渡に流罪となりました(嘉元元年:1303年に許され帰京、しかし正和4年:1315年に六波羅探題で拘禁され、正和5年:1316年に土佐国に流され、河内国の地で没しています)。その途中で寺泊に風待ちの為に1月余り滞在しそこで出会ったのが初君(寺泊の才色兼備の遊女)で、玉葉和歌集に載っている初君の和歌「 もの思ひ 越路の浦の しら浪も たちかえるならひ ありとこそ聞け 」はこの時為兼に贈られたと考えられています(天候が回復し佐渡島に旅立つ日に為兼は初君に対し「逢うことを またいつかはと 木綿たすき かけしちかひを 神にまかせて」と詠み、その返答として上記に和歌を詠んだとされます)。この碑は江戸時代後期に国上寺万元和尚の徒弟尼妙順・妙雪が中心となり浄財を募り建立されたもので元々は寺泊字坂井町(跡地として長岡市指定史跡)にあったものを平成15年(2003)に現在地に移しました。初君旧歌碑は平成15年(2003)、長岡市指定文化財(記念物・史跡)に指定されています。
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