大竹記念館(長岡市)概要: 大竹家は代々、新発田藩(藩庁:新発田城)の大庄屋を務めた家柄で、敷地も広大で大きな池を取り囲む庭園は現在でもよく管理されています。敷地の南西隅には"池公社"と呼ばれる御堂や"水亭"と呼ばれる茶室があり見所があります。池公社は鎌倉時代初期の正治元年(1199)にこの地を開発し中之島集落を開いた池大納言平頼盛を祀った御堂で大竹家の祖先がその家臣だった事もあり某村で祭られていた遺骸を寛永2年(1625)に屋敷内に遷し御堂を建立したとされます。
現在ある御堂は江戸時代後期の享和元年(1801)に再建されたもので、木造平屋建て、切妻、桟瓦葺、平入、2間社、正面1間向拝付き、建物に施された彫刻は京都の彫工、法眼七条左京が担当したそうです。水亭は明治11年(1878)の明治天皇北陸巡幸の折建てられたもので、当初の計画では大竹邸が御休息所に使用される予定でしたがコースが変更した事で立ち寄る事は無かったそうです。
又、大竹貫一(明治から昭和初期の政治家、国会議員、普選運動や対露強硬派として大衆煽動を巧みに行った。刈谷田川改修や大河津分水など地元の治水工事に尽力。)の生家としても知られ、昭和47年(1972)に長岡市指定文化財に指定され、新潟県景勝百選にも選定、現在は大竹邸記念館として遺品や資料などが展示されています。
大竹記念館:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-大竹邸保存会
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