高彦根神社(長岡市)概要: 高彦根神社は新潟県長岡市宮内5丁目に鎮座している神社です。高彦根神社の創建は不詳ですが、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載されている都野神社の論社で古くから信仰されてきました。歴代領主や為政者から崇敬庇護され鎌倉時代には初代将軍源頼朝から神領三千貫が寄進され社運も隆盛しました(周辺地域には高彦根神社の境内地だったと思われる地名が散見され往時は相当な大社だったと思われます)。古くから神仏習合し別当寺院として正行寺・西福寺・長福寺・西入寺が祭祀を担っていましたが、天正6年(1578)に春日山城(長野県上越市)の城主上杉謙信が死去すると、後継者争いである御館の乱が勃発、高彦根神社は影虎側に付いたようで乱の兵火により多くの社殿、別当寺院の堂宇も焼失し社領も取り上げられ衰微します。
江戸時代に入ると長岡藩(藩庁・長岡城)の藩主から庇護され元和2年(1618)に堀直奇から社領70石が安堵されるとその後の藩主も追認しています。江戸時代までは「一王神社」などと呼ばれていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が排され、社号を高彦根神社に改称し、明治6年(1873)に村社に列し、明治40年(1907)に神饌幣帛料供進神社に指定されています。
境内の一角には「米山薬師如来」の石碑が建立されており、神仏習合の名残が見られます。高彦根神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、妻入、銅板葺き、間口2間、奥行き2間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造板張り。本殿は一間社流造、銅板葺き、外壁は真壁造板張り。祭神は味耜高彦根命。
長岡市:神社・仏閣・再生リスト
高彦根神社:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 越佐の神社 式内社六十三-株式会社 新潟日報事業社
|
|