会津八一生誕地(新潟市)概要: 明治時代から昭和初期にかけての歌人、会津八一は新潟県新潟市古町が生誕地で、多くの俳句、俳論、短歌を残す一方で仏教美術史の研究者でもあり「法隆寺・法起寺・法輪寺建立年代の研究」などを発表しています。代表作は「南京新唱」、「鹿鳴集」、「渾齋近墨」、「渾齋随筆」、「山光集」、「會津八一全歌集」などで昭和23年(1948)には早稲田大学名誉教授、昭和26年(1951)には新潟市名誉市民になっています。生誕地に建立された歌碑は昭和20年(1945)に東京大空襲で秋艸堂(八一の居宅)が被災し新潟に疎開した際に詠んだ句「 新潟の濱にて ふるさとの はまのしろすな わかきひを ともにふみけむ ともをしぞおもふ 八一」が刻まれています。訳は案内板によると「この故郷の浜の白浜を若き日、ともに踏んだ友のことがしきりに思われる。」とあります。
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