三条市: 石動神社

  新潟県:歴史・観光・見所(ホーム)>三条市:歴史・観光・見所>石動神社

概要・歴史・観光・見所

石動神社(三条市)概要: 石動神社は新潟県三条市吉野屋に鎮座している神社です。石動神社の創建は奈良時代後期の延暦3年(785)に石川県鹿島郡中能登町に鎮座する伊須流岐比古神社(別当:石動山天平寺、能登国二宮)の分霊を勧請したのが始まりとされます。

古くから「吉野屋の権現様」と呼ばれ、医薬の神として周囲から信仰され、当初は麓に鎮座していましたが、江戸時代中期の元禄11年(1698)に現在地に遷座しています。明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て、大正9年(1920)に村社に列しています。祭神:伊須流岐比古命。合祀神:菊理比売命、建御名方命、大山祇命、大山咋命、宇迦魂命、市杵嶋比売命。

石動神社の現在の社殿は明治元年(1868)の火災で焼失後に明治初期に再建されたもので、拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、正面千鳥破風、桁行4間、梁間2間、正面1間向拝付、外壁は真壁造板張り。本殿は一間社神明造、銅板葺。大工棟梁は松尾嘉治、彫刻は吉野屋の庄屋木原氏が懇願して石川雲蝶(酒井安兵衛)があたっています。

石川雲蝶は文化11年(1814)に江戸雑司ヶ谷に生まれ名彫刻師と呼ばれた人物で、石動神社では竜や獅子、亀だけでなく「ぬえ退治(拝殿内部欄間)」、「くも退治(拝殿内部欄間)」、「おろち退治(拝殿内部欄間)」、「神功皇后と武内宿彌(拝殿脇障子)」、「加藤清正と高麗人(拝殿脇障子)」などが彫り込んでいます。

伝承によると、向拝欄間に彫刻されていた龍は元々右側を向いていましたが、夜な夜な石動神社を抜け出し、不気味な音をたて住民が困っていた為、雲蝶はすぐさま左向きに彫刻し直すと、不思議と龍が抜け出す事が無くなったと伝えられています。石動神社の彫刻(8点)は石川雲蝶の作品の遺構で意匠、技術的に優れていることから平成17年(2005)に三条市指定有形文化財に指定されています。

石動神社:上空画像

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(石動神社の彫刻)-三条市教育委員会
・ 越後の名匠 石川雲蝶 足跡と作品を訪ねて-株式会社 新潟日報事業社


石動神社:ストリートビュー

石動神社:写真

石動神社境内正面に設けられた大鳥居と石造社号標
[ 付近地図: 新潟県三条市 ]・[ 三条市:歴史・観光・見所 ]
石動神社参道石段に設けられた朱塗りの鳥居と石燈篭 石動神社拝殿左斜め前方と水鉢 石動神社拝殿向拝に石川雲蝶によって施された彫刻 石動神社本殿と幣殿
石動神社境内の長く続く参道 石動神社参道沿いにある雰囲気のある杉並木 石動神社参道石畳みから見た拝殿正面 石動神社境内に設けられている神楽殿


※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「新潟県:歴史・観光・見所」は「観光パンフレット」、「観光地案内板」、「関係HP」、「郷土資料辞典:新潟県」、「日本の城下町:甲信越」、「有限会社建築相談センター」、を参考にさせていただいています。※プライバシーポリシーはこちらです。