千光寺(新発田市)概要: 補陀楽山千光寺は新潟県新発田市五十公野に境内を構えている曹洞宗の寺院です。千光寺の創建は奈良時代の天平年間(729〜749年)、行基菩薩が巡錫で当地を訪れた際、千手観音菩薩の化身と思われる白髪の老人が現れ命棒と福棒と呼ばれる2本の霊木を差し出し、この霊木で千手観音像を彫り込み安置すると多くの民衆を助ける事が出来ると告げ姿を消しました。
行基菩薩が早速、その霊木から千手観音像を制作し観音寺を創建、本尊として安置しましたが、その後、兵火により多くの堂宇や記録、寺宝も焼失し千手観音像の行方を分からなくなりました。ある時、曽根新田に住む村人が夜な夜な光る不思議な場所がある事から、掘り出してみると千手観音像が現れた為、堂宇を設けて安置しその地は「千手田」と呼ばれるようになりました。
寛文2年(1662)、ある村人の霊夢に千手観音菩薩の化身が立ち「本来の安住の地である五十公野に戻りたい」との御告げがあり、村人達と相談の結果、行基菩薩の由来を持つ観音寺跡地に堂宇を建立し演州禅師を招いて補陀落山千光寺を開山しました。
その後は新発田藩(藩庁・新発田城)の藩主の祈願所として庇護されるなど寺運が隆盛し、特に4代藩主溝口重雄が篤く帰依し、側室に世継ぎが生まれた事を感謝し弁天堂(美音堂:五十公野八景の1つだった)、宝永2年(1705)には仁王門(昭和4年:1929年改築・切妻、桟瓦葺き、三間一戸、八脚単層門、仁王像安置)を造営しています。
千光寺境内の芭蕉句碑は天保5年(1834)に新発田出身の俳人10人の尽力により建立されたもので「 古池や かはず跳びこむ 水のをと はせを 」の句が刻まれています。本尊の千手観音菩薩は秘仏として知られ毎年2月17日の縁日のみ御開帳となります。
蒲原三十三観音霊場第23番札所(札所本尊:千手観世音菩薩・御詠歌:月一つ 影は千里の 外てらす 天津雲井の 五十公野の秋)。山号:補陀楽山。宗派:曹洞宗。本尊:千手観音菩薩。
千光寺:上空画像
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