弥彦神社 |
弥彦神社(弥彦村)が何時頃に創建されたのかは不詳。伝承によると弥彦神社の祭神である天香山命が勅命により越後国の開発に尽力し、その功績を讃えて弥彦山に祭られるようになったと伝えられています。又、弥彦山は大化3年(647)に渟足柵(新潟県新潟市東区)が築かれる以前の大和朝廷の日本海側の勢力最北端だった事から、朝廷からは特別な意味合いがあったと思われます。延喜式神名帳で記載されている越後国54社の中で唯一の名神大社である事から越後国一宮とされ、少なくとも戦国時代には上杉謙信や国人領主からの願文からは越後国一宮として認識されていたようです。歴代領主、為政者から崇敬庇護され、江戸時代は社領500石が安堵され社運も隆盛しています。特殊神事:灯籠祭り(国指定重要無形民俗文化財)。
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居多神社 |
居多神社(上越市)が何時頃に創建されたのかは判りませんが、居多(こた)は古くは「けた」と発音した事から能登国一宮の「気多大社」と越中国一宮の「気多神社」と同系統とされます。又、境内が越後国府や国分寺に隣接する事からも越後国一宮として国事の祭祀が行われたと思われます。基本的に弥彦神社や天津神社と同年同格に列していますが、延喜式神名帳では式内小社に留まっています。朝廷の衰退と共に国府の政治的意味合いが無力化しましたが、当地区には越後国守護所が設けられた為、引き続き越後国の政治的、文化的、軍事的中心地となり、居多神社も重要な役割を持ったと思われます。上杉謙信の跡目争いである「御舘の乱」の兵火により衰退しましたが、江戸時代に入り再興され、歴代高田藩主から庇護されました。 |
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天津神社 |
天津神社(糸魚川市)は景行天皇が在位した時代とされる西暦71〜130年に創建されたとされる古社です。第36代天皇である孝徳天皇(在位:西暦645〜654年)の勅願所になるなど早くから朝廷に知られた存在で、弥彦神社や居多神社と同年同格に列し延喜式神名帳に記載されている大神社の論社とされ、能登国一宮と称されてきました。一宮とする根拠は不詳ですが、弥彦神社同様に、ある時期まで糸魚川付近が大和朝廷の国境があった事や、境内地のある糸魚川は翡翠の一大産地でもあり逸早く開け重要視されていたのかも知れません。又、境内社である奴奈川神社の祭神である奴奈川姫神は出雲国一宮(出雲大社)の大国主の妻神で、信濃国一宮(諏訪大社)の建御名方神の母神であった事に由来するのかも知れません。
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