種月寺

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概要・歴史・観光・見所

種月寺(新潟市)概要: 福地山種月寺は新潟県新潟市西蒲区石瀬に境内を構えている曹洞宗の寺院です。種月寺の創建は室町時代の文安3年(1446)、当時の越後守護職上杉房朝が開基となり越後国の曹洞宗信仰の中心的な存在だった耕雲寺3世の南英謙宗(薩摩出身の曹洞宗の高僧、五位の思想家、耕雲寺傑堂能勝に師事)を招いて開山したと伝えられています。

上杉家の庇護により境内には七堂伽藍が整備され、一大修行道場として発展、その後は、周囲を支配していた小国氏(源頼行(源頼政の弟)を祖とする一族、南北朝に当地に進出、種月寺の境内背後の山は小国氏の居城である天神山城。)が帰依し、文明17年(1485)には小国重頼(上杉謙信の家臣)が「首楞厳義疏註経」を寄進しています(小国重頼の死没年は慶長6年:1601年の為、本人自ら寄進したとは考えにくく祖父か曾祖父世代頃の当主なのかも知れません)。山号:福地山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦牟尼仏。

【 種月寺開基者:上杉房朝 】-上杉房朝は父親である上杉朝方は越後の守護大名でしたが、応永29年(1422)に死去すると房朝(幼名:幸龍丸)はまだ幼少だった事を理由に叔父である上杉頼方が守護に就任しました。房朝は頼方と対立していた守護代の長尾邦景に協力した事で復権を果たしましたが、今度は邦景が台頭し、嘉吉元年(1441)に8代将軍足利義教が死去した事で体制が変化しようやく越後国を掌握する事が出来ました。房朝は越後の国人衆にも一定の裁量権が見られ、そのような中、越後北部の曹洞宗の中心だった耕雲寺(新潟県村上市)の寺領問題に介入し成果を上げています(耕雲寺の寺領が全て略奪されたものを、房朝に裁定により半分が返還された)。この時、耕雲寺の南英謙宗と深い関係を築き、文安3年(1446)に種月寺の創建に至っています。

【 種月寺開山者:南英謙宗 】-南英謙宗の出生について不明ですが、一説には薩摩の島津家の出とも云われ、種月寺の寺紋である「丸に十字紋」は薩摩島津家の家紋に通じるものがあると推察されています。その後、大岳周崇、梅山聞本、石屋真梁の下で厳しい修行を行い、耕雲寺を開山した傑堂能勝に師事しています。

南英謙宗は曹洞宗の教えを広める為に全国を行脚し、備前の牛頭山に滞在中、上記の耕雲寺の寺領略奪の報を受け、急きょ越後に戻り、再興に尽力し、上杉房朝との関係を深めています(南英謙宗が留守の間、耕雲寺を守っていた顕窓慶字は責任を感じてか、再興半ばで雲洞庵に去っています)。種月寺開山後も、天寧寺(福島県会津若松市)や国見山玉川寺(山形県鶴岡市)の再興など多くの実績を残しています。

種月寺:上空画像

【 種月寺外護者:小国氏 】-小国氏は源頼政の弟とされる源頼行の孫にあたる源頼連が越後国刈羽郡小国保(現在の新潟県長岡市小国町)に地頭となり、地名から「小国」姓を名乗りました。南北朝時代に種月寺の背後の高台に天神山城を築き、ここを拠点として周辺の支配を行い、文明17年(1485)には小国重頼が「首楞厳義疏註経」を寄進しています。小国氏は戦国時代に上杉謙信に従い有力家臣となっていましたが、跡を継いだ上杉景勝の謀略により本流が途絶え、景勝の重臣である直江兼続の弟、樋口与七に小国姓の名跡を継がせ小国実頼と改名しています。その実頼も小国の「小」の字が気に入らず「大国」に改姓、慶長3年(1598)に上杉景勝の会津(福島県会津若松)移封に従った為当地を去っています。

【 越後四ケ道場 】-種月寺は雲洞庵新潟県南魚沼市)、村上耕雲寺新潟県村上市)、慈光寺新潟県五泉市)と共に越後四ケ道場の一つとして隆盛を極め、数多くの雲水が修行に訪れ、最盛期には末寺24カ寺を擁し本山総持寺(当時は石川県輪島市の総持寺祖院)の輪番制住持職の格式を持ちました。江戸時代初期の貞享元(1684)に描かれた「種月寺絵図」によると周辺の山林と三町歩の寺領を有し、境内は四反歩あったことが確認出来ます。

【 種月寺:本堂 】-種月寺本堂は江戸時代中期の元禄12年(1699)に建てられたもので、木造平屋建、一重、寄棟造、平入、茅葺、桁行13間(約24m)、梁間10間(約18.8m)、内部は優婆塞、大間、優婆夷、茶の間、、位牌堂、内陣、室中2室で構成され、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、腰壁縦板張り押縁押さえ、開口部上部には花頭窓、棟梁は出雲崎出身の大工小黒甚七が手掛けています。種月寺本堂は江戸時代中期に建てられた曹洞宗の本堂建築(附:棟札2枚)の遺構として大変貴重なことから平成元年(1989)に国指定重要文化財に指定されています。

【 種月寺:寺宝 】-寺宝の南英謙宗墨跡・書籍は種月寺を開山した南英謙宗が69歳に編纂した「続鼓ふ軒記」、暦応2年(1339)に編纂された「首楞厳義疏註経」、さらに「耕雲種月開基年譜私録」や「顕訣耕雲註種月くんせき藁」など22冊が昭和29年(1954)に新潟県指定文化財に指定されています。本堂手前にある銀木犀は推定樹齢300年、本堂が再建された際に植樹されたと伝えられるもので、樹高約7m、幹周3.7m、枝張約10m、新潟市を代表する銀木犀として貴重な事から平成16年(2004)に新潟市指定天然記念物に指定されています。又、寺宝である「火防石(竜神石)」は種月寺の境内を整備してくれた龍神から授かったと伝わるもので、雨乞いや火防に御利益があるとして信仰の対象となり現在でも毎年6月19日には防火の護符が配布されています。

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【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-新潟市教育委員会


種月寺:ストリートビュー

種月寺:本堂・境内・写真

種月寺境内に設けられた総門と石造寺号標
[ 付近地図: 新潟県新潟市 ]・[ 新潟市:歴史・観光・見所 ]
種月寺山門から見た苔生した境内 種月寺参道の両脇に生える杉並木 種月寺回廊門と両サイドに接続している回廊 種月寺植栽から垣間見える本堂
種月寺本堂正面に掲げられている「福地山」の山号額 種月寺本堂外壁越に見上げる背後の里山 種月寺植栽越に見える庫裏の玄関 種月寺本堂全景

種月寺:歴史的建造物

山門山門
・種月寺山門は明治10年(1877)に再建されたもので、切妻、桟瓦葺、一間一戸、高麗門のような控壁(銅板葺き)が正面と背面の両側に設ける珍しい形式です。寺紋として薩摩藩島津家と同じ「丸に十の字」が掲げています。開山者である南英謙宗と島津家との関係が窺えます。
回廊門回廊門
・山門は江戸時代後期の安政4年(1857)に造営されたもので、切妻、桟瓦葺、一間一戸、左右に回廊が接続しています。曹洞宗の伝統的な伽藍配置に近い形式を採用しています(曹洞宗の伽藍は山門を起点として回廊で聖域を囲み、鐘楼や庫裏、本堂と結ぶ形式を採用しています)。
回廊回廊
・種月寺回廊は回廊門と同時期の江戸時代後期の安政4年(1857)に造営されたもので、切妻、桟瓦葺、両下造、向かって右側の外壁は上部が吹き放し、腰壁は縦板張、向かって左側の外壁は白漆喰仕上げ、腰壁はは縦板張。曹洞宗の伝統的な伽藍配置に近い形式
庫裏庫裏
・庫裏は木造平屋建、桟瓦葺(一部鉄板葺)、平入、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ(一部下見板張り縦押縁押え)、腰壁は縦板張り、向かって左側で本堂、向かって右側で回廊に接続しています。種月寺の僧侶達の生活が行われる施設で、伽藍を構成する要素の一つです。
本堂本堂
・本堂は江戸時代中期の元禄12年(1699)に造営されたもので、木造平屋建て、寄棟、茅葺、平入、桁行24.0m、梁間18.8m、外壁は真壁造り、白漆喰仕上げ、腰壁は縦板張り、正面上部に花頭窓付、棟梁は小黒甚七、国指定重要文化財に指定されています。


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