目黒家住宅(魚沼市)概要: 目黒家は中世は福島県会津地方を治めた芦名家に仕える武家だった家柄です。天正17年(1589)、芦名家は摺上原の戦いで伊達政宗に敗れると本家筋の佐竹氏を頼り常陸国(現在の茨城県)に落ち延びましたが目黒家は主君に随行せず天正18年(1590)に土着し帰農したようです。
江戸時代に入ると上条郷15ヶ村の肝煎り役、元禄年間(1688〜1704)には上条郷25ヶ村の庄屋の惣代(中庄屋格)となり、宝暦5年(1755)には糸魚川藩領須原村の庄屋で割元役を命ぜられ23ヶ村の大庄屋を歴任し苗字帯刀も許されました。明治時代に入ると政治家を輩出し大正時代に最盛期を向かえ農地165町歩、小作人総数325人を数える豪農となります。
現在の目黒家住宅は寛政9年(1797)に11代五郎助が建てたもので木造平屋建一部2階、寄棟、茅葺、桁行16間(29.7m)、梁間6間(16.2m)、中門部は入母屋、茅葺、桁行桁行2.9m、梁間8.2m、北面突出部は寄棟、茅葺、桁行7.4m、梁間6.1mの規模を誇り新潟県内屈指の豪農住宅と言えます。
又、目黒家は役宅として藩役人を招き入れる事もあり中門屋根は千鳥破風を設え、槍の間、中の間、奥座敷、小座敷、奥小座敷などの接客空間も充実し格式の高さが窺えます。
目黒家住宅(主屋・新蔵・新座敷・附:軒札2枚、古図1枚、家作用具買入帳1冊)は江戸時代後期に建てられた豪農建築の遺構として大変貴重なことから昭和49年(1974)に国指定重要文化財に指定されています(「昭和53年:1978年追加指定:宅地4513.8u・「平成5年:1993年追加指定:椽亭、棟札1枚、石動社、宅地及び原野10717.8u )。
目黒家住宅の文化財
・ 主屋-木造平屋建、中門、寄棟、茅葺、桁行29.7m、梁間16.2m
・ 新蔵-天保11年-土造2階建、切妻、妻入、桟瓦葺、桁行5.5m、梁間5.5m
・ 新座敷(橡亭)-明治37年-木造2階建、寄棟、銅板葺、桁行9.2m、梁間7.5m
目黒家住宅:上空画像
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