弥彦村: 宝光院

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概要・歴史・観光・見所

宝光院(弥彦村)概要: 宝光院の創建は建久6年(1196)に源頼朝の発願により僧禅朝が開基し大日如来を本尊として祀ったのが始まりとされます。当初は龍池寺と称しましたが越後国一宮とされる弥彦神社の別当である神宮寺が繁栄すると次第に衰退し、末寺である宝光院だけを残し廃寺となります。宝光院も明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後に吹き荒れた廃仏毀釈運動により一時衰退しましたが、その後現在地に移され再興されています。

本尊は元神宮寺の本尊だった阿弥陀如来像で、寺宝には元々は龍池寺に祀られていた木造多聞天立像(嘉暦3年:1328年作、檜材、寄木造り、像高:187p)があり昭和41年(1966)に新潟県指定重要文化財があります。鰐口は鋳鋼製、鼓面径53cm、肩厚11.3cm、中世の鰐口としては新潟県最大で元々は明応5年(1496)に弥彦神社に奉納されたものでしたが、明治45年(1912)の弥彦大火後に宝光院に移されたものとされ弥彦村指定文化財に指定されています。

又、境内は元禄2年(1689)に松尾芭蕉と曽良が奥の細道行脚の際、宿泊した場所とされ芭蕉碑(海に降る 雨や恋し うきみやど)が建立されています。芭蕉は7月3日に当地に宿泊し弥彦神社を参拝したことが曽良随行日記に記載されています(・・・三日快晴。新潟ヲ立。・・・申ノ下刻、弥彦ニ着ス。宿取テ、明神へ参拝。・・・)。境内裏には"弥彦の婆々杉"と呼ばれる推定樹齢1千年、樹高40m、幹周10mの巨木があり昭和27年(1952)に新潟県指定天然記念物に指定されています。

伝承によると「弥彦の鬼婆」と呼ばれ、悪行の限りを尽くした老婆が大杉の根元を寝座にしていたところ、典海大僧正が説教すると改心し「妙多羅天女」となり今度は善行の限りを尽くしました。その後、罪人が死ぬと死体や衣服などがこの大杉にかけられ見せしめにされ何時しか「婆々杉」と呼ばれるようになったと伝えられています。越後弘法大師二十一カ所霊場第13番札所(札所本尊:大日如来・御詠歌:紫雲峰の 老杉のもと弥陀の悟 合わすみ手に光り放たん)。宗派:真言宗智山派。

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(中部北陸自然道)-環境省・新潟県
・ 現地案内板(芭蕉句碑説明)-新潟県弥彦村

宝光院:写真

宝光院
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