国上寺:新潟県燕市

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【 概 要 】国上寺新潟県燕市)は和銅2年(709)に越後国一宮として格式が高かった弥彦神社の祭神の神託により開かれた古寺で、長く弥彦神社の別当寺院として神仏習合の形態が続きました。一方、当地は雲高山(雲上山)と呼ばれ、聖徳太子が登拝した際に霊地と悟り「雲上記」を編纂すると自ら大悲千手観音像を彫刻し霊場として開発したとも伝えられています。孝謙天皇の在位の期間(749〜758年)には国中上一寺の寺号を賜り、それを略して国上寺と呼ばれるようになりました。文治3年(1187)には源義経が奥州平泉(岩手県平泉町)に逃れる際に国上寺を訪れ大黒天像を奉納しています。戦国時代に入ると関東管領で越後守護職だった上杉謙信(春日山城の城主)が篤く帰依し境内に七堂伽藍の堂宇を整備して10万石の格式を与えました。最盛期には末寺130余カ寺、山内には21カ寺、千人を超える僧侶が修行を行なっていたとされます。その後、焼き討ちなどにより境内が荒廃し衰退しましたが比叡山延暦寺(滋賀県大津市坂本)で修行を終えた万元上人が巡錫で国上寺を訪れた際、荒廃した境内を憂い30年に渡り国上寺の境内に五合庵を設けて再興に尽力しています。江戸時代後期の文化元年(1804)には越後国出身の良寛和尚五合庵乙子神社境内の草庵に身を置いた事でも知られ「いざここに 我が身は老いん 足びきの 国上の山の 松の下いほ」の歌を残しています。

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