・六日市宿は三国街道の宿場町で、規模は余り大きくなく、隣接する妙見宿とは合宿でしたが、六日市宿には本陣が設けられ、代々細貝家が担いました。
安政3年には村松藩の堀直休が父親である9代藩主堀直央の隠居に伴い、家督を相続する事となり、その御国入りの際、細貝邦太郎家に宿泊しています。
実際、直休が家督を継ぎ10代藩主に就任したのは安政4年ですが、それに先立って御国入りしたと思われます。
享和3年9月22日(1803年11月6日)には伊能忠敬の第4次測量の際、宿泊所として細貝清兵衛家が利用されています。
その晩、幕府勘定奉行、道中奉行からの書簡と、忠敬の師である高橋至時の書簡が届き、糸魚川で忠敬の測量と糸魚川藩の町役人との間でいざこざについての意見が綴られていました。
至時の尽力により大事には至らなかったものの糸魚川事件と呼ばれています。
現在、本陣の遺構は街道沿いにある老松だけとなっていますが、細貝姓の家が散見されます。
鎮守である三宅神社は延喜式神名帳に式内社として記載された三宅神社の論社で、正徳2年に現在地に遷座し、篤く奉斎されています。
三国街道:宿場町・再生リスト
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