長浜宿

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長浜宿:略データ
・場 所・新潟県上越市長浜
・概 要・長浜に鎮座している阿比多神社は延喜式神名帳に式内社として記載されている阿比野多神社の論社で、持統天皇8年に案下の幣帛を捧げられたと伝えられています。

長浜の地は古代の官道である北陸道に沿って位置している事もあり、多くの著名人も当社を訪れており、永承5年には鎮守府将軍の源頼義が前九年合戦平定の戦勝祈願を行っています。

承久3年には順徳上皇が承久の乱で敗北し佐渡に配流される事となり当地まで搬送された際に当社を訪れ参拝、神像を奉納したと伝えられています。

さらには、永仁5年には大覚寺統との皇位継承争いに敗れて佐渡配流となった大納言藤原(京極)為兼も当地まで搬送された際、当社を訪れ和歌を一首奉納しています。

室町時代に入ると当地にも曹洞宗の布教が始まり、至徳3年には大徹宗令が悦翁寺を開創しています。

大徹宗令は南北朝時代から室町時代にかけての曹洞宗の高僧で、筑前国の妙楽寺の無方宗応に師事し、能登国の總持寺の峨山韶硯の印可を受け、複数の寺院を開き、總持寺の住職にも就任しています。

江戸時代に入り北国街道が開削されると宿場町に指定されています。

寛永20年には現在の田中酒造である能登屋が創業する等、宿場町として発展したと思われます。

寛延4年に高田地震が発生すると、長浜村の住民407人の命は無事でしたが、人家70軒の内、全壊が30軒、半壊が12軒、耕作地の44%が不作地となり大きな被害を受けています。

現在、伝統的な町屋建築は少なくなりましたが、民家が街道沿いに軒を連ね宿場町の名残が感じられます。

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