小千谷市: 妙高寺

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概要・歴史・観光・見所
妙高寺(小千谷市)概要: 妙高寺の創建は文永2年(1265)、当時の内ヶ巻城の城主田中義房(新田義顕の家臣)が開基となり清津天海禅師が開山したと伝えられています。伝承によると修験僧が愛染明王を担いで当地まで来ると急に重くなり身動きが取れなくなった為、内ヶ巻城の城主である田中義房に助けを請うと、それは愛染明王の神意であるとし妙高寺を建立し祀るようになったと伝えられています。又、一説には元々は田中家の旧領地である伊豆田中荘に愛染明王は祀られ源頼朝も信仰していましたが義房が当地に移封になった際、一緒に持ち込み妙高寺を創建したとも云われています。当初は真言宗の寺院でしたがその後衰退し、文禄3年(1594)に洞照寺(長岡市)の五世果翁良珊和尚により曹洞宗の寺院として中興、江戸時代に入ると幕府から庇護され天和3年(1683)には寺領10石が安堵されています。

妙高寺は信濃川を見下ろす高台に建立されていたこともあり信濃川舟運関係者からの信仰が篤く、特に本尊である愛染明王坐像(桧材、寄木造、像高124cm、三眼六腎、宝瓶、紅蓮華座)はインドの仏師昆首羯磨の作とされ染物関係者、醸造関係者からも信仰されています。大正13年(1924)に火災で本堂、庫裡、山門など堂宇が焼失し愛染明王坐像は無事だったもの多くの寺宝や記録など失い、これを機に現在地に境内を移し再建しています。愛染明王坐像は昭和25年(1950年)に国指定重要文化財(昭和10年に旧国宝)に指定されています。妻在百三十三番霊場の百十四番札所(御詠歌:執繋 離ていさむ 駒形を 躑躅が枝に 馬酔木花咲)。宗派:曹洞宗。本尊:愛染明王。

【 妙高寺菩提者:田中義房 】-田中家は新田一族で新田氏本宗家の初代とされる新田義重の庶長子である里見義俊(別称:大新田太郎・里見四郎太郎・竹林(高林)六郎太郎)の次男義清が田中郷を与えられ田中氏を称したのが始まりとされます。現在の群馬県太田市新田上田中町にある長慶寺が田中家の菩提寺で境内は居館跡だったと推定されています。田中義房(田中大炊介源義房:田中大蔵)は義清から5代後裔とされ、田中荘から愛染明王坐像を遷座し菩提寺である妙高寺を創建しています。

妙高寺の縁起では田中荘は伊豆となっていますが、新田氏の一族の田中氏の出身は上野国新田荘田中郷であることから混乱があります。もし、伊豆国田方郡田中郷出身の田中氏ならば桓武平氏北条氏流となり北条氏一族だった事になります。ただし、愛染明王像は源頼朝も信仰したとあるので配流先だった伊豆に関係が深いとも言えます。当時の義房は新田義顕(新田義貞の長男)の家臣、南朝方の武将の1人で内ヶ巻城(小千谷市指定史跡)の城主として近隣20箇村を支配していました。城の規模からいっても一定以上の勢力があったと見られ、後裔は戦国時代まで当地を支配したと思われます。妙高寺の境内には田中義房の墓碑が建立されています。

妙高寺:写真

妙高寺
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