関川宿(妙高市)概要: 関川宿は越後と信濃の国境にあたり交通の要衝だった事から「重き関所」として重要視されました。戦国時代には上杉家が管理し、江戸時代に入り北国街道が本格的に整備されると高田藩により管理されました。
関所を中心に宿場町が形成され本陣1軒、旅籠10軒が設けられ特に大藩である加賀藩の参勤交代のルートかつ佐渡金山からの鉱物搬送ルートだった為、多くの人々が利用して繁栄しました。
明治2年(1869)に関所が廃止され明治5年(1872)に宿駅制度が廃止されると重要性が薄れた為、急速に衰退しました。
現在の関川宿は関所が復元されている他、隣接する民家を改修したと思われる"御宿せきかわ"があり一角だけですが当時を感じさせてくれます。中心部だったと思われる地区は住宅街となり過疎化が進んだのか少し寂しい感じがします。
北国街道:宿場町・再生リスト
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