北国街道: 関川宿

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概要・歴史・観光・見所
関川宿(妙高市)概要: 関川宿は越後と信濃の国境にあたり交通の要衝だった事から「重き関所」として重要視されました。戦国時代には上杉家が管理し、江戸時代に入り北国街道が本格的に整備されると高田藩により管理されました。関所を中心に宿場町が形成され本陣1軒、旅籠10軒が設けられ特に大藩である加賀藩の参勤交代のルートかつ佐渡金山からの鉱物搬送ルートだった為、多くの人々が利用して繁栄しました。明治2年(1869)に関所が廃止され明治5年(1872)に宿駅制度が廃止されると重要性が薄れた為、急速に衰退しました。現在の関川宿は関所が復元されている他、隣接する民家を改修したと思われる"御宿せきかわ"があり一角だけですが当時を感じさせてくれます。中心部だったと思われる地区は住宅街となり過疎化が進んだのか少し寂しい感じがします。

関川宿:町並み:写真

関川宿
[ 付近地図: 新潟県妙高市 ]・[ 関係リンク: 妙高市 ]
関川宿 関川宿 関川宿 関川宿
関川宿(妙高市):見所・観光
関川関所・概要・歴史・観光・見所
関川関所(関川宿)概要: 関川関所は案内板によると「 江戸中期、全国53の関所は、重関所と軽関所に分けられ、越後の関所5ヶ所のうち重関所は関川だけでした。これは、この地が加賀藩などの参勤交代や佐渡産金が通過する要路にあったためと考えられます。関所は幕府の支配をうけ、直接にはその土地の大名や代官が管理しました。関川の関所は、榊原時代には藩士足軽数名と現地採用の郷足軽など10数名が勤務し、そのなかに常勤の人見女がいましたが、「入鉄砲と出女」の取締りをするために土地の女が選ばれました。関所の開門は明六つ(午前6時)から暮六つ(午後6時)までで、閉門後は特別の者以外通さず、いわゆる関所破りは死刑になりました。しかし、関所附近の女が川向こうの野良仕事に出るときは、前もって配布された「女通手札」で通関できました。幕末になると取締りもゆるみ、明治2年には関所が廃止されました。 妙高高原町教育委員会 」とあります。現在関川関所は復元され内部には関所の史料を展示しています。

関川関所 関川関所 関川関所 関川関所

天神社・概要・歴史・観光・見所
天神社(関川宿)概要: 詳細は不詳で関川集落の産土神で神社の名称から祭神は菅原道真と思われます。拝殿は入母屋、平入、鉄板葺(元茅葺)、桁行4間、梁間2軒、向拝や派手な彫刻がないものの重厚な印象を印象を受けます。背後にある本殿は2間社流造、拝殿とは繋がってなく独立して建立されています。境内には巨木も多く歴史を感じさせてくれます。

天神社 天神社 天神社 天神社

下町天神社・概要・歴史・観光・見所
下町天神社(関川宿)概要: 古くから「天神様」と呼ばれ集落の産土神として信仰されてきた神社です。境内にある御神木の大杉は推定樹齢1000年、樹高28.78m、目通り幹周8.2m、昭和16年(1941)に国指定天然記念物に指定されています。又、境内には多種多様の巨木が群生していて古くから「天神森」と呼ばれ神域として保護保全されてきました。

下町天神社 下町天神社 下町天神社 下町天神社

浄善寺・概要・歴史・観光・見所
浄善寺(関川宿)概要: 浄善寺浄善寺の第五世住職釋恵天は小林一茶と親交が深く後妻の世話を依頼されたとも伝わっています。住職が文政3年(1820年)に階位昇格をすると一茶がそれを祝って俳句の掛軸などを贈って寺宝とし何度も句会が開かれたそうです。境内には近年建立された一茶の句碑があり「 いたれりや佛の方より花衣 」と刻まれています。


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