荒井宿(妙高市)概要: 荒井宿は北国街道と信州の飯山とを結ぶ飯山街道の交差する交通の要所として発展しました。現在でも旧街道沿いには古い町屋や東本願寺新井別院や康源寺、賀茂神社などといった社寺仏閣が点在し当時の雰囲気を垣間見る事が出来ます。
特に東本願寺新井別院の庫裏は関山神社の別当寺院だった宝蔵院から移築し明治天皇の行在所にしたもので、歴史が感じられます。街道から少し離れると延喜式神名帳に記載されている斐太神社や上杉景虎の最期の地となった鮫ヶ尾城、縄文時代から古墳時代までの多くの史跡があり古くから開けていた地域と思われます。
慶長4年(1599)には春日山城の城主堀秀治が手形不所持の者に伝馬・継人足を出すことを禁止しています。
荒井宿は案内板によると「 新井は頸城平野から信濃へ抜けていく交通の要所で、物資の集積地として早くから開かれていました。上杉謙信も天正3年(1575)年に通行した記録が残っています。新井宿は飯山街道の起点で、信州・江戸への荷物の運搬の拠点として栄え、佐渡の金の輸送は高田まで取りに行き関山宿まで運びました。町並みは上・中・下の三町からなり、中心となる中町には本陣(大名・幕府役人などの休憩施設)・町名主宅(村の代表者宅)・高札場(法令を知らせる立て札所)・問屋(宿役人馬の責任者宅)などが軒を列ねていました。元禄14(1701)年から文化6(1809)年の間、幕府代官所の陣屋(代官の主張所)が置かれ、大崎郷・上板倉郷・下坂倉郷の計97ヵ村総高5万石余を支配していました。また近郷の在郷町として毎月6日・10日・16日・20日・26日・晦日に市が立ち、現在も続いています。」とあります。
荒井宿に境内を構えている社寺は下町に東本願寺新井別院、照光寺、願楽寺、聞弥寺、中町には市神社、正教寺、極生寺、上町には松野木神社などがあります。
北国街道:宿場町・再生リスト
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