関山宿(妙高市)概要: 関山宿は大きな宿場町ではありませんでしたが、温泉を引いてた宿があるなど特徴ある宿場町でした。妙高山山岳信仰の中心だった関山神社(和銅元年:706年創建、式内社、県社)やその別当である宝蔵院(新潟県指定史跡)があった事で妙高山詣での信者達が宿場を利用しました。現在は温泉宿や宝蔵院が無くなり宿場町の雰囲気も失われていますが、関山神社が現存していて境内や社殿から当時の繁栄ぶりが感じられます。
関山神社: 関山神社の創建は奈良時代まで遡るという古社で裸行上人により妙高山の山頂に開かれたのが始まりとされます。裸行上人はインド出身の高僧で、熊野浦に流れ着くと那智滝(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)で修行を重ね熊野那智大社を開山、その後、日本全国に数々の霊場を開いた人物とされます。
その為、関山神社も古くから神仏習合し妙高山も修験僧の拠点として大きく発展し、妙高山関山三社権現、所謂、中尊:関山大権現=国常立尊=聖観世音菩薩・左尊:白山臺権現=伊弉冊尊=十一面観世音菩薩・右尊:新羅大明神=素盞鳴尊=文珠菩薩という信仰が確立しました。
その後、妙高山の麓である現在に遥拝所が設けられると民衆にも広く信仰されるようになり何時しか領主にも手が出せない聖地として大きな権力を有するようになり一帯には数々の社殿、堂宇、支院、分社などが軒を連ねたそうです。
戦国時代に織田家越後侵攻の兵火により全山焼失し、その後再興されるますが往時には及ばず、江戸時代にも朱印地100石程度に留まっています。それでも現在の境内も広大で江戸時代後期に再建された社殿も味わいのある建物で、古社の雰囲気が随所に感じられます。
関山宝蔵院: 宝蔵院は関山神社の別当として祭祀を司ってきた寺院で、往時は妙高山信仰の最大の拠点として大きな影響力がありました。境内には壮大な堂宇や庭園が設けられましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により関山神社の仏教色が一掃される事になり廃寺に追い込まれました。
その為、多くの建物は破却され一部が東本願寺新井別院の庫裏として移され明治11年(1878)の明治天皇の巡幸で利用されています。宝蔵院の跡地には石垣や建物の礎石、庭園跡が残されて昭和55年(1980)に新潟県指定史跡、庭園は平成25年(2013)に国指定名勝に指定されています。
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