三俣宿概要: 三俣宿(新潟県湯沢町)は三国街道の宿場町で三国峠からは3番目にあたり浅貝宿、二居宿と共に三国三宿とも呼ばれ、難所を控えた宿駅の為、多くの旅人が利用し3宿の中では最大規模となり、本陣1軒(関新右衛門家:現在は石垣のみ)、脇本陣2軒(越後屋・池田屋)が設置されました。三国街道は戦国時代に上杉謙信の関東進出の軍用道路でもあった為、三俣宿にあった三復庵が謙信の休息や宿泊で利用され江戸時代でいう本陣的な役割を持ちました。
三俣宿の鎮守である伊米神社の創建は不詳ですが延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社の論社で古い歴史があると伝えられています。
脇本陣を務めた池田家は天明年間(1781〜1789年)から脇本陣職を務めた家柄で、幕府の役人や参勤交代で大名に随行した家老級の人物が主に利用していました。
現在の建物は文政11年(1828)に建てられたもので木造2階建、切妻、平入、鉄板葺(旧木羽葺、石置き屋根)、桁行10間(約18m)桁行6間(約10.8m)と間口が広く、式台付の玄関や上段の間の意匠(床の間、違い棚付、襖絵、欄間の彫刻、釘隠しの意匠)などに当時の名残が見られます。
池田家は明治5年(1873)に宿駅制度廃止された後も旅館として営業し山形有朋、森鴎外などの著名人なども利用しました(現在は旅館業は廃業)。池田家住宅(池田屋)は江戸時代末期に建てられた脇本陣建築として貴重なことから昭和29年(1954)に新潟県指定文化財に指定されています。
三俣宿の中心付近にある三俣観音堂の本尊、聖観世音菩薩は池田家が当地に土着した際奉納したもので上田三十三観音霊場第15番札所(御詠歌:三俣や いう三点と さとりなば ねはんの岸と ここにいながら)に選定されています。
三国街道:宿場町・再生リスト
|