羽州浜街道: 岩船港(村上市)

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概要・歴史・観光・見所
岩船港(村上市)概要: 飛鳥時代後期、大和朝廷の勢力圏の拡大に伴い、岩船周辺が日本海側の最北端となり大化4年(648)に磐舟柵が築造されました。磐舟柵の正確な位置は現在も明確になっていませんが地名や地形、地勢などから岩舟周辺が有力視されています。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている石船神社は磐舟柵と関係が深い神社とされ一説には阿倍比羅夫により創建されたとも云われています。ただし、石船神社が創建する以前に饒速日命が祭られている小祠が鎮座していた事から、物部一族が石船に乗って当地に入植、開発し、祖神である饒速日命が祀られたとも云われています。近くに境内を構える諸上寺も磐舟柵や石船神社と同時代に創建され、当初は石船神社の別当寺院だったとも云われています。時代が下がると政治的な重要性は失われ、当地方の漁業の中心地、漁師町として発展しました。江戸時代初期は米沢藩(山形県米沢市:本城−米沢城)領に属し、特に岩船産の子鯛や子鯖は藩主上杉家の献上品として米沢城まで運ばれていきました。江戸時代中期に村上藩(藩庁:村上城)の主要港だった海老江港が天領となり、さらに周辺の港の権益も海老江港に移された事から、村上藩と米沢藩では岩船港を利用するようになり寛政9年(1797)には村上藩が主体となり船泊まりが築造され、港の便宜が図られています。岩船港には新潟港や酒田港を結ぶ小廻し船が整備され江戸時代後期には30艘前後の小廻し船が利用し8軒の舟問屋が軒を連ねました。これは村上藩領にある他の港を圧倒する規模で、本城である村上城の外城としての機能を果たしていたと思われます。明治時代に入っても引き続き新潟港、酒田港間の定期船の寄航地や、粟島の渡航地として発展し、明治時代後期に近代交通網が整備され大正3年(1914)に羽越線が開通するまで続きました。

岩船港:町並み:写真

羽州浜街道: 岩船港
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