村上市(歴史)概要: 村上市は中世、国人領主である本庄氏の居城村上城の城下町として発展しました。本庄氏は当初独立性の強い領主だった事もあり上杉氏とも対立し村上城が戦場となった事もありましたが後に従属した為、上杉氏の庄内侵攻の拠点となり重要視されました。
慶長3年(1598)に上杉景勝が会津に移封された後、村上頼勝が9万石に入封、頼勝は関ヶ原の戦い時に直接戦いに加わらなかったものの旧上杉家家臣が起こした"上杉遺臣一揆"を鎮圧した事で領土が安堵され村上藩を立藩します。
しかし、2代藩主忠勝が御家騒動を起こし改易され、新たに堀直寄が10石で入封します。村上堀家は3代直定が幼少で死去した事で断絶し、分家である村松堀家が村松藩3万石で存続します。その後も本多忠義や松平直矩、榊原政倫、本多忠孝、松平輝貞、間部詮房などが短期間の内に変わり安定的な世情とはなりませんでした。
享保5年(1720)に内藤弌信が5万石で入ると明治維新まで内藤家が藩主を歴任しようやく安定した藩政が行われるようになりました。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に組し新政府軍と対抗し村上城下も戦場となりますが戦局を維持することが出来ず降伏しています。
その後、村上藩は明治4年(1871)に村上県となり同年に新潟県に併合されています。城下は鶴ヶ岡城下とを結ぶ出羽街道や、日本海側を縦断する羽州浜街道、参勤交代の経路となった越後街道(会津街道)などが交差する交通の要衝でもあり、多くの人や物資が行き交いました。
現在でも村上市には由緒ある社寺仏閣や新潟県内で最多の武家屋敷、街道沿いの町屋建築など城下町としての雰囲気が随所に残っています。
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