三日市藩: 館村陣屋

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概要・歴史・観光・見所

館村陣屋(新発田市)概要: 享保9年(1724)、柳沢時睦(柳沢吉里の5男)が越後国三日市周辺に1万石が与えられ三日市藩を立藩、当初は三日市に陣屋が設けられましたが、水害が頻発した為、享保15年(1730)に中世の加地氏館跡で、江戸時代初期に幕府の代官所があった現在地(館村=上館)に陣屋を移しました。

陣屋は地名に因み館村陣屋と呼ばれ、単郭で内部には御役所、御台所、文武所、御土蔵、郷倉、御物見、大手門、不浄門、八幡宮、秋葉社、稲荷社、武家長屋、御馬場などが設けられました。

陣屋の周囲を堀と土塁で囲い正面のみが石垣が設けられ板井川の支流が外堀に見立てられ、柳沢家は定府大名だった為、藩主の居館(御殿)はありませんでした。八幡宮の前面が大手筋で東側の街道沿いが陣屋町が形成され商人や職人、農家などが混在する町割で南北両端に木戸を設けていました。

三日市藩は柳沢時睦から保経・信著・里之・里世・里顕・泰孝・徳忠と8代藩主を歴任し明治4年(1871)に廃藩になると陣屋も取り壊されています。現在は敷地の大部分が七葉中学校の校庭となり、唯一八幡宮だけが陣屋の名残を残しています。

三日市陣屋:写真

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