長岡藩概要: 元和2年(1616)に堀直寄が8万石で蔵王堂城に入城するとすぐさま長岡城の築城に取り掛かり完成と同時に長岡藩を立藩します。元和4年(1618)に直寄が村上藩に移封させられると牧野忠成が6万2千石で入封し、元和6年(1620)に7万2千石に加増されさらに寛永2年(1625)に7万4千石が安堵されます。長岡藩領域は信濃川や阿賀野川流域を含んでいた為、湿地帯も多く新田開発に適した土地柄で歴代藩主は積極的に開発を行い、新潟港は北前船の寄港地、長岡城下も信濃川舟運の拠点として繁栄を極めました。このように他藩と比べて比較的豊かな長岡藩でしたが天保年間に新潟港が幕領として上知されると港からの上納金を失い、さらに藩主が老中や京都所司代を歴任した事で財政面の悪化が顕著となっていきます。戊辰戦争時には当初、中立の立場を取りましたが新政府側との会談が決裂したことで奥羽越列藩同盟に参加し戦闘状態となります。特に長岡城の攻防戦は熾烈を極め北越戦争最大の激戦となりました。しかし、逸早く新発田藩が新政府側に恭順した為、戦局が維持できずまもなく降伏しています。その後、長岡藩は許されたものの石高が2万4千石と縮小され廃藩置県以前の明治3年(1870)に廃藩となり柏崎県に併合されます。
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長岡藩歴代藩主
| 藩主名 | 藩主年間 | 石高 | 備考 |
初代 | 堀直寄 | 1616〜1618 | 8万石 | |
| 藩主名 | 藩主年間 | 石高 | 備考 |
初代 | 牧野忠成 | 1618〜1655 | 7.4万石 | |
2代 | 牧野忠成 | 1655〜1674 | 7.4万石 | |
3代 | 牧野忠辰 | 1674〜1721 | 7.4万石 | |
4代 | 牧野忠寿 | 1721〜1735 | 7.4万石 | |
5代 | 牧野忠周 | 1735〜1746 | 7.4万石 | |
6代 | 牧野忠敬 | 1746〜1748 | 7.4万石 | |
7代 | 牧野忠利 | 1748〜1755 | 7.4万石 | |
8代 | 牧野忠寛 | 1755〜1766 | 7.4万石 | |
9代 | 牧野忠精 | 1766〜1831 | 7.4万石 | |
10代 | 牧野忠雅 | 1831〜1858 | 7.4万石 | |
11代 | 牧野忠恭 | 1858〜1867 | 7.4万石 | |
12代 | 牧野忠訓 | 1867〜1868 | 7.4万石 | |
13代 | 牧野忠毅 | 1868〜1870 | 7.4万石 | |
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