木野俣宿(鶴岡市):歴史・概要

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概要・歴史・観光・見所
木野俣宿(鶴岡市)概要: 地名の木野俣の由来は当地が温海川と越沢の分岐点だった事から「樹岐」が転じて「木野俣」になったとされます。往時は摩耶山(標高:1019.7m:日本三百名山、東北100名山、山形県指定名勝)信仰の拠点だったと思われ集落内に鎮座する熊野神社の前身は摩耶神社の里宮だったとされ、当初は満屋山城輪神社と称していました(奥宮又は本宮は摩耶山の山頂に鎮座)。中世以降は神仏習合し金峰山奥駈け修験行場として多くの修験者が摩耶山を目指した事から木野俣も賑わったと思われます。上杉家が領主になると余りに人が入り過ぎ霊山が荒れるという理由から入山禁止となり、江戸時代に入っても庄内藩(本城・鶴ヶ岡城)の藩主酒井家も踏襲した為、満屋山城輪神社も元和8年(1622)には熊野神社に改称しています。境内の巨木群は推定樹齢200年から600年程で杉の巨木8本を中心に様々な針葉樹や落葉樹などがあり平成10年(1998)には鶴岡市指定天然記念物に指定されています。例祭である5月5日に奉納される神事「木野俣獅子踊」は江戸時代初期から続けられ現在も古式を継承する貴重な民俗行事として貴重な事から昭和47年(1972)に鶴岡市(旧温海町)指定無形民俗文化財に指定されています。社殿は入母屋、桟瓦葺、平入、桁行3間、正面1間向拝付、祭神は速須佐之男神、稲田姫神。又、木野俣は古代日本の城柵の一つで越国と出羽国の境界付近に設けられたとされる「都岐沙羅柵」の推定地の1つでもあります(候補地多数)。

木野俣宿:町並み:写真

木野俣宿(鶴岡市)
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