小名部宿(鶴岡市)概要: 小名部宿の地名の由来は地形が谷間にあり、鍋の形状に似いて、さらに、こじんまりとまとまっていた事から小鍋と呼ばれたのに起因しています。元和8年(1622)に信濃松代藩(長野県長野市松代町)10万石の藩主酒井忠勝が庄内藩13万8千石で鶴ヶ岡城移封の際には出羽街道を利用し庄内入りを果たしており、堀切峠を越えた後、小鍋村で昼食をとった事から江戸時代初期は小鍋と呼ばれていた事がわかります。
小名部宿は越後国と出羽国の国境に位置し、江戸時代初期には村上藩(村上城)と庄内藩(鶴ヶ岡城)の藩境でもあり重要視されました。
慶応4年(1868)8月下旬の戊辰戦争の際は新政府軍約400名が出羽街道を北上し庄内侵攻を目指した為、庄内・村上軍約450名と堀切峠で激しい戦いとなり、この戦いでは庄内藩が勝利し、新政府軍は中継宿まで撤退しています。街道沿いには民家が密集し宿場町の雰囲気が残っています。
小名部宿の鎮守である熊野神社の創建は不詳ですが古くは山の神が祀られていた社に熊野修験が熊野神の分霊を勧請合祀したとされます。社殿は寄棟、桟瓦葺、平入、桁行3間、正面1間軒唐破風向拝付、外壁は真壁造、弁柄着色板張、向拝木鼻には象と獅子、欄間には龍の彫刻が施されています。
又、和泉式部と関係があるようで境内には和泉式部祈願塔が建立されています。祭神は伊弉册神、速玉男命、事解男命。境内社は薬師神社、愛宕神社、葦倉神社、皇大神社、河内神社、八幡神社、諏訪神社。
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