小国宿(鶴岡市):歴史・概要

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概要・歴史・観光・見所
小国宿(鶴岡市)概要: 小国地は越後と庄内を結ぶ出羽街道沿いにあり越後国と出羽国の国境を控えていた事から古くから軍事的拠点として重要されました。中世は国人領主である小国氏により小国城が築かれましたが武藤氏(大宝寺氏)の台頭により被官又は家臣として組み込まれたようです。小国城は武藤氏の南方の押さえの城として大きく貢献し、その後の上杉氏、最上氏、酒井氏の何れも重要視されましたが元和元年(1615)の一国一城令により廃城となり破却されました(国指定史跡)。ただし、出羽街道の宿場町としての重要性は変わらず麓には庄内藩(本城・鶴ヶ岡城)の番所が設けられ人物改めや荷物改めなどが行われ厳重に管理されました。天和2年(1682)の大火後に本格的な宿場町として整備され、道幅は約8mと参勤交代で利用されない地方の宿場町としてはかなり余裕のある造りで、敷地間口も5間から6間と定められ、現在でもその名残が見られます。熊野神社は長禄2年(1458)、当時の領主穐本右エ門督が勧請したのが始まりとされ、小国城の鎮守社として歴代城主から崇敬庇護され武藤氏時代は祈願所として篤く帰依されています。現在の社殿は明治11年(1878)に再建されたもので入母屋、鉄板葺、平入、正面1間向拝付、参道には杉の巨木が並木を形成し歴史の深さが感じられます。例祭である「小国熊野神社例大祭」では大名行列(1万石の格式)と神輿渡御が行われ無病息災が祈願されます。「小国八幡宮弓射神事」は永禄10年(1567)に弓書2巻が佐藤惣左ェ門より五十嵐新四郎に授与された事が記録に残っている事から少なくともこれ以前から行われていた神事で昭和61年(1986)に鶴岡市(旧温海町)指定無形民俗文化財に指定されています。

小国宿:町並み:写真

小国宿(鶴岡市)
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