関山神社(妙高市)

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概要・歴史・観光・見所
関山神社(妙高市)概要: 関山神社は新潟県妙高市大字関山に鎮座している神社です。越後国(新潟県)と信濃国(長野県)との国境付近に聳える妙高山(標高:2454m・日本百名山、北信五岳)は古くから自然崇拝の霊山として信仰され何時頃か国常立尊、伊弉冊尊、素盞鳴尊の三神が祀られていました。和銅元年(706)、裸行上人(印度天竺出身の修験道の高僧。常に裸で修行を行っていてとも云われています。)が妙高山の信仰を広げる為、その里宮として三神の分霊を勧請し関山神社を創建、さらに、平安時代の大同年間(806〜810年)には弘法大師空海(真言宗の開祖)が関山神社を訪れ社殿の造営と境内の整備が行われたと伝えられています。

一方、関山神社の主祭神国常立尊の本地仏である銅造菩薩立像(新羅仏)は7世紀の朝鮮三国時代に制作されたと推定されるもので、創建当初から祭られていたとすると裸行上人が開いたとの伝承よりさらに古い神社だったと思われます。7世紀当時、日本では金銅仏を制作する技術が無かった事から銅造菩薩立像は朝鮮半島から持ち込まれとされ、当時の越国(現在の北陸地方と新潟県)には多くの渡来人が訪れ開発していた事から、祖神を祭った可能性があるそうです。銅造菩薩立像が朝鮮半島から持ち込まれたとすると現在は国常立尊の本地仏という位置づけですが、元々は朝鮮半島と関係が深いとされる素盞鳴尊の本地仏だったという推論が成り立ちます。銅造菩薩立像は天正10年(1582)に行われた森長可(織田信長の家臣)の関山神社焼き討ちにより鍍金や宝冠部、両手先、両足等が失われましたが、当時の金銅仏の遺構として大変貴重な事から平成21年(2009)に国指定重要文化財に指定されています。

【 関山神社の九頭龍 】−伝説によると八岐大蛇の御霊が転生し九頭龍となり、瀬織津姫に恨みを晴らす為に蝦夷白竜の岳に身を潜めて機会を伺っていました。九頭龍が外ヶ浜の善知鳥安方(現在の青森県青森市に鎮座している善知鳥神社付近)に潜んでいた際、島津大人(竹子姫[宗像三女神の沖津島姫]とカル君[オホナムチ]との子供)切りつけられると、九頭龍は越の洞穴(新潟県能生町:能生白山神社の境内)から、妙高山(新潟県妙高市関山:関山神社)を経て、戸隠山(長野県長野市戸隠)に逃げたものの遂に討ち取られ九頭龍神社に祭られたと伝えられています。

また、一説には九頭龍は巨大な龍であった事から戸隠山が九頭龍の頭、妙高山(関山神社)が胴腹、尾っぽは越前能生(能生白山神社)に達した事から、関山神社には胴中権現、能生白山神社には尾先権現がそれぞれ祭られたと伝えられています。

【 式内社大神社論社 】−関山神社は延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社大神社の論社として古くから信仰されてきました。もし、当社が大神社とすると貞観3年(861)に弥彦神社新潟県弥彦村)、居多神社新潟県上越市)と共に従四位に列した格式の高い神社だった事になります。ただし、大神社には糸魚川市一の宮に鎮座する天津神社、糸魚川市平に鎮座する大神社、糸魚川市大野に鎮座する大野神社、糸魚川市藤崎に鎮座する藤崎神社、上越市吉川区尾神に鎮座する大神社がそれぞれ論社となっています。

【 神仏習合 】−関山神社は早くから神仏習合し、「妙高山関山三社権現」、「関山権現」、「関山三社権現」、「関山三所大権現」などと称し別当寺院として関山宝蔵院、奥の院は妙高堂(本尊:妙高三尊阿弥陀如来像)が祭祀を司り極めて仏教色の強い神社でした。時代が下がり信仰が広がると妙高山山岳信仰の中核として影響力が増大し、妙高五山(関の庄:妙高山、神奈山、茶臼山、火打山、不動山)は関山神社、宝蔵院の所領とされ許可が無ければ入山禁止になるなど領主の権限が及ばない半ば治外法権のような領内経営がなされました。平安時代末期には木曽義仲(木曽源氏棟梁)、戦国時代には上杉謙信(春日山城の城主)が戦勝祈願し「龍旗」を奉納するなど帰依が特に篤かったとされ最盛期には七堂伽藍70余坊を抱えるほど繁栄を極め越後第一の霊地とされました。天正6年(1578)謙信が死去すると上杉景勝、上杉影虎両養子による家督争いである「御館の乱」が起こり上杉家が弱体化、天正10年(1582)4月には上杉景勝が起請文を奉納するも、織田信長家臣森長可が越後に侵攻しその兵火により関山神社の社殿、宝蔵院の堂宇は焼失し一時衰退します。(資料的には上杉景勝が起請文が最古)

【 江戸時代以降 】−江戸時代に入ると、東叡山天海の弟子大僧都俊海(上杉謙信の甥)が関山神社を再興し幕府から100石の社領を安堵、運も再び隆盛し文政元年(1818)には現在の社殿が再建されます。関山神社社殿(拝殿、幣殿、本殿)は木造平屋建て、入母屋、銅板葺、妻入、間口3間、奥行き7間、正面唐破風向拝付、外壁は真壁造板張り、向拝や欄間部には象や獅子、龍、波、植物の精緻な彫刻、建築面積299u、拝殿、幣殿、本殿が一体で構成されている所謂「関山権現造」、江戸時代後期の社殿建築の遺構として貴重で、「造形の規範となっているもの」との登録基準を満たしている事から平成29年(2017)に国登録有形文化財に登録されてます。社殿の本殿部に設置されている宮殿は寛政2年(1790)に制作されたもので、一間社流造、正面軒唐破風付き、朱色を基調とした極彩色仕上げ、江戸時代後期の宮殿建築の遺構として貴重で「造形の規範となっているもの」との登録基準を満たしている事から平成29年(2017)に国登録有形文化財に登録されてます。

関山神社境内は北陸地方と信濃地方とを結ぶ北国街道の宿場町である関山宿に位置していた事から氏子や信者だけでなく街道を利用した多くの旅人や商人などが参拝に訪れたと思われます。明治時代初頭に発令された神仏分離令により別当の関山宝蔵院は廃寺、仏式も廃され社号を関山神社に改称、明治6年(1873)に村社、昭和6年(1931)には県社に列しています。祭神は中尊:国常立尊、本地仏:聖観世音菩薩・左尊:伊弉冊尊、本地仏:十一面観世音菩薩・右尊:素盞鳴尊、本地仏:文珠菩薩。

関山神社の文化財
・ 銅造菩薩立像-朝鮮三国時代(7世紀)-像高20.3p-国指定重要文化財
・ 銅造阿弥陀如来立像-鎌倉時代末期-像高58.2p-新潟県指定文化財
・ 関山石仏群(35躯)−平安時代後期−像高80p前後−新潟県指定文化財
・ 関山の仮山伏の棒遣いと柱松行事−新潟県指定無形民俗文化財
・ 文殊菩薩立像−貞享3年−像高23.5cm−妙高市指定文化財
・ 仏手−鎌倉時代−長さ21.4cm−妙高市指定文化財
・ 亀石−全長120cm−妙高市指定文化財
・ 銅造観音菩薩立像(左脇侍)-鎌倉末期-像高41.1p-妙高市指定文化財
・ 銅造勢至菩薩立像(右脇侍)-鎌倉末期-像高40.0p-妙高市指定文化財
・ 関山神社龍旗−安土桃山時代−縦72p、横53p−妙高市指定文化財
・ 関山神社社殿(拝殿・幣殿・本殿)−文政元年−国登録有形文化財
・ 関山神社宮殿−寛政2年−一間社流造−国登録有形文化財

関山神社:写真

関山神社境内正面に設けられた大鳥居
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関山神社参道に生える杉の大木と神橋 関山神社参道石畳みと石燈篭 関山神社参道石段から見上げた社殿 関山神社社殿右斜め前方と砲弾
関山神社拝殿向拝と石造狛犬 関山神社境内に生える大木越に見える社殿 関山神社拝殿向拝に施された精緻な彫刻 関山神社神池に安置されている亀石


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