長徳寺(千手観音堂)概要: 白雲山長徳寺は新潟県十日町市友重に境内を構えている曹洞宗の寺院です。千手観音堂の創建は延暦20年(801)に坂上田村麻呂が東夷東征の帰途、当地を訪れると急に持仏の千手観音像が動かなくなった為(又は田村麻呂の霊夢に観音菩薩の化身が立ち、「風光明媚なこの地に私は留まりたい」との御告げがあったとも)、神意と悟り御堂を造営し像を安置すると家臣である伊勢平氏の友重、友定兄弟に命じて護らせたと伝えられています。
千手観音像は宝亀7年(778)、延鎮(平安時代前期の法相宗の高僧、清水寺開山)が大楠の霊木から大小2体の仏像を彫り込み大1体が清水寺に安置、小1体が田村麻呂の持仏となり当寺に安置されたことから姉妹仏とも云われ現在は秘仏として33年に1度御開帳されます(現在の本尊は火災で焼失後の天文23年:1555年、魚沼上田庄出身の新保又四郎経安作)。長徳寺は千手観音の別当として信仰を集め越後三十三観音霊場第十番札所(御詠歌:枯木にも 花咲くべしと きくからに 心ある身の たのもしきかな)、妻在百三十三番霊場第百一番札所(御詠歌:補陀落や 岸打波は 長徳寺 吉田山にや ひびく滝津瀬)にもなっています。
長徳寺の創建は不詳ですが当初は真言宗の寺院で滝沢山宝鏡庵と称していたとされ、花池から現在に移され白雲山長徳寺に改称し、曹洞宗に改宗、観音堂の別当となっています。歴代領主からも崇敬庇護され、江戸時代には千手観音堂領として34石が安堵されていました。
千手観音堂の仁王門、木造金剛力士像は案内板によると「 仁王門 寛延2年(1749)に出雲崎の大工を中心として建築した入母屋造り三間一戸の仁王門である。茅葺の「みの甲」の曲線が美しく、足廻り軸部、斗拱、軒廻り、妻飾り、柱間装置、天井などの構造手法が近世の寺院建築に指標をあたえて貴重である。 木造金剛力士像 天衣を頭上にひるがえし、眉を逆立て眼を開き、阿形像は、左手を振り上げて金剛杵を握り、吽形像は右手の五指を開いて掌を前に見せて立つ。江戸中〜後期の作と思われ、仁王門とともに、かつての千手観音堂の隆盛をうかがい知ることができる。 十日町市教育委員会 」とあります。
又、長徳寺の境内には鎌倉時代(応長元年:1311年)の板碑(阿弥陀三尊:阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩を表す梵字が刻まれています)も見つかっていて当時の信仰を知る事が出来ます。仁王門、木造金剛力士像は昭和54年(1979)、板碑は昭和51年(1976)に十日町市指定有形文化財に指定されています。山号:白雲山。宗派:曹洞宗。本尊:千手千眼観音菩薩。例祭「十七夜まつり」は毎年7月16・17日に行われ1千2百年前から続けられているそうです。
長徳寺(千手観音堂):上空画像
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