久寛荘(柏崎市)概要: 久寛荘は古くから庄屋を勤める家柄である内藤家の宅邸として建てられたものです。内藤家は元々上杉家に仕えていたそうですが慶長3年(1598)に上杉景勝が春日山城(新潟県上越市)から鶴ヶ城(福島県会津若松市)に居城が変わったことで本家がそれに随行し、石地の祖がこの地に住みました。その為、周囲の農民より格式が高く、本来許されない門が設置されています。特にこの門は入口の両脇に従者などを住まわす長屋を備える長屋門形式で、格式を重んじた江戸時代では大名など極一部にしか許されない形式でした。明治11年(1878)には明治天皇の北陸巡幸の際に休息に利用され昼食をおとりになったそうです。又、日本石油株式会社初代社長 内藤久寛の生家としても知られています。
明治天皇行在所・明治天皇駐蹕碑・長屋門(木造平屋建、寄棟、せがい造、外壁は白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張り押縁押さえ)は昭和44年(1969)に柏崎市指定史跡となっています。現在は群馬県所有の「多野藤岡広域圏臨海学校」となっています。
長屋門を簡単に説明した動画
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-石地地区コミュニティ振興協議会
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