柏崎市: 専称寺

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概要・歴史・観光・見所

専称寺(柏崎市)概要: 専称寺の創建は永仁元年(1293)一遍上人の高弟真教が当地に巡錫で訪れた際、草庵を設けたのが始まりと伝えられています。応長元年(1311)に当地の地頭職である北条時元が寺領を寄進した際、寺院として整備され時宗道場として自らの菩提寺となっています(過去帳には応長元年に時元が死亡していることから実際には跡を継いだ経高が寺観を整え時元を開基としたと思われます。境内背後の裏山には時元のものと伝わる宝篋印塔が建立されています)。

北条氏は鎌倉幕府初代公文所別当大江広元の4男季光を祖とする名族で相模毛利庄を領していた事から毛利氏を名乗り、さらに越後国佐橋荘の地頭職に任ぜられ時元が北条城を築いた後に北条氏となっています。同じ時期、同族が安芸吉田庄(広島県安芸高田市)の地頭職を任ぜられ、その後裔が戦国時代に大大名となった毛利家に繋がっています。

越後北条家の菩提寺として庇護され寺運も隆盛しましが、天正6年(1578)、春日山城(新潟県上越市)の城主上杉謙信が死去すると上杉景勝(謙信の甥)と上杉景虎(北条氏康の子息)との間に後継者争い(御館の乱)が激化し、当時の領主北条景広は上杉景虎側に付いて討死にします。庇護者を失った専称寺は一時衰退しますが享保2年(1717)に説賢和尚によって再興され現在にいたっています。

現在の専称寺本堂は文化10年(1813)に再建されたもので入母屋、桟瓦葺、平入、桁行8間、梁間5.5間、正面1間向拝付、外壁は真壁造、白漆喰仕上。境内背後の高台は北条(毛利)氏の居城だった北条城跡で、現在でも空堀や土塁、郭の形状などの遺構が残り刈羽郡最大級の山城として貴重なことから柏崎市指定史跡に指定されています。宗派:時宗。本尊:阿弥陀如来。

又、境内にある山門は別名"豆の木御門"と呼ばれ伝説が残っています。昔、この村にいた太郎という少年が継母に虐待を受け、家督をかけ継母の実子と争う事になり、より多く豆を収穫した方を勝ちとしました。継母は太郎の蒔いた種に細工したので全く芽が出ませんでしたが、たった1本だけ芽が出たところ見る見る大きくなり大樹となって義弟よりも多くの豆を収穫することが出来ました。この豆の木は専称寺に寄進され、山門を建てたということです(山門は北条城の大手門を移築したものとも)。

専称寺の文化財
・ 一遍上人絵詞伝(10巻)−室町時代−原本直径−柏崎市指定有形文化財
・ 牡丹文彫きゅう漆前机−牡丹文透彫−柏崎市指定有形文化財
・ 竹双雀文蒔絵文台・硯筥−伝:上杉景虎愛用−柏崎市指定有形文化財
・ 阿弥衣−血染めの衣−柏崎市指定有形文化財

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専称寺:上空画像

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-柏崎市教育委員会


専称寺:ストリートビュー

専称寺:写真

専弥寺
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専称寺 専称寺 専称寺 専称寺


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