名立宿

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名立宿:略データ
・場 所・新潟県上越市名立区名立
・概 要・名立の地は崇神天皇の御代に久比岐国造御矛命が居を構えたとされます。

久比岐国は後の国頸城郡西部、現在の糸魚川市に相当するとされますが、当地も版図の一部だったのかも知れません。

その後、武内宿禰の子供である若子宿禰の後裔の江沼氏が当地に祖神を勧請し江野神社を開創したとされ、この江野神社は延喜式神名帳に式内社として記載された江野神社の論社となっています。

古代の官道である北陸道が開削されると当地には駅家である名立駅が設けられ馬五疋が常備されています。

名立駅の正確な場所は判っていませんが、当地では度々大地震により山崩れや津波等で大きな被害を受けている為、跡地も残っていないのかも知れません。

江戸時代に入り北国街道が開削されると宿場町として整備され、本陣は名立寺がその職を担いました。

名立寺は文明年間に長尾能景が開創したとも、永正年間に開創されたとも伝わる曹洞宗の寺院で、越後三十三観音霊場第1番札所の岩屋堂観音堂を管理し明治天皇の北陸巡幸の際には行在所として利用されています。

寛延4年に発生した高田地震では宿場町である名立小泊背後の斜面が大きく崩壊し、名立村にあった民家91戸のうち、土砂埋没81戸、全壊4戸、半壊3戸と壊滅的な被害を受けています。

永禄2年に開創された宗龍寺は土砂崩れに直撃して境内毎日本海に投げ出され、明治時代初頭頃に宗龍寺の梵鐘が発見され引き上げられています。

宗龍寺の梵鐘は安土桃山時代以前に鋳造された古鐘で、上記の経緯から「竜宮の鐘」と呼ばれ貴重な事から上越市指定有形民俗文化財に指定されています。

天保年間には名立の出身の偉人である竹田勘兵衛が名立川の上流にある東飛山の幸蔵から大菅に至る約16qに及ぶ大規模な川東用水を開削し、竹田新田が開かれています。

川東用水は開削者勘兵衛の遺徳を偲び、竹田用水の異名があり、現在は約90haの耕地に供給しています。

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