・外波宿は北国街道の宿場町で、北国街道最大の難所だった親不知子不知を控えていた事から重要視されたと思われますが、規模は小さく、隣接する歌宿と合わせて1つの宿駅を機能を担っていました。
青海方面から荷物は歌宿で繋いで市振宿に運ばれ、市振宿方面からの荷物は外波宿で繋いで青海宿に運ばれる規則があり、宿駅の機能の月の半分で交代で行っています。
周囲には開けた土地も少なく、住民は宿場の仕事の他は漁業を生業とする家が多かったようです。
宿場内に境内を構える大雲寺は親鸞聖人所縁の寺院として知られ次ぎのような伝説が伝えられています。
承元元年に比叡山延暦寺との対立から端を発した念仏禁止令により親鸞聖人は2人の弟子と共に越後国の国府に流される事となり、市振まで辿り着いたものの、親不知子不知で、日本海からの荒波と強風により立ち往生する事になりました。
すると、どこからともなく立ちすくみと名乗る漁師が出現し、親鸞と2人の弟子を背負い、荒波を物ともせず外波村まで案内すると消えるように姿を消しました。
親鸞一行は村の有力者である大文字屋右近の家を訪ね、事の経緯を話し、一夜の宿を求めましたが、冷たくあしらわれてしまいました。
暫くすると奥方が気になって日頃から信仰していた阿弥陀如来像を見てみると、腰の下がびっしょりと濡れ、足の裏に浜辺の砂が着いていた事から、先程の僧侶を背負って当家に連れて来た漁師は、この阿弥陀様の化身である事を悟り、急いで親鸞一行を家に招き、謝罪すると共に弟子となり大雲寺を開創したと伝えられています。
現在でも本尊は「立ちすくみ如来」と呼ばれ信仰の対象となっています。
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