・上原宿は北国街道の宿場町で、規模が小さく隣接する関川宿とは近接している事から両宿場が月の半分ずつで宿場の役割を交代する合宿でした。
当初は関川宿だけでしたが、関川宿には北国街道の中では最も厳しい取締を行ったとされる関川関所が設けられた為、街道を利用する人や荷物の増加に伴い、宿駅の仕事量が増大、その為上原宿が開宿し宿駅や関所の仕事を分担しました。
問屋は豊田家が歴任し、高田藩の藩主が参勤交代で上原宿を利用した際は本陣役を担いました。
豊田家の邸宅は昭和に入って解体されましたが、当時は式台付の玄関や床ノ間、脇床、書院付の上段間がある等本陣に相応しい格式の高い建物でした。
又、庭園に植樹されている銀杏の大木は上原宿で大きな火災が発生した際、降りかかる火の粉から本陣の建物を守ったと伝えられています。
旅籠を担った「ろうそく屋」は江戸時代末期に庄名藩士として生まれ、尊皇攘夷派の志士として浪士組結成に尽力した清河八郎が母親と共に宿泊した事でも知られ、現在建物はありませんが、庭園が残されており往時の名残が感じられます。
鎮守である天神社の境内にある親鸞聖人袈裟掛の松は、伝承によると親鸞聖人が信濃国戸隠に向かう為当地を訪れた際、大蛇が街道に横たわり住民や旅人が通る事が出来ず困っていた為、親鸞が天神社の松に袈裟を架けると居多ヶ浜で拾った霊石に経文を書き、大蛇が棲家にする池に投げ込むと、その後、大蛇の姿を見る人はいなくなったと伝えられています。
境内に植樹されている大杉は推定樹齢千年、樹高28.78m、根回り17m、幹周9m、国指定天然記念物に指定されています。
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