岩屋堂観音堂(上越市)概要: 岩屋堂観音堂は新潟県上越市名立区名立大町に境内を構えています。岩屋堂の創建は大宝2年(702)に泰澄大師(白山開山者、修験道の高僧)が開山したのが始まりとされます(泰澄大師が当地方で開いた寺院としては最古)。
信仰は広く康元元年(1256)には鎌倉幕府5代執権・北条時頼も当地に訪れ越後三十三ヶ所観音霊場の第一番札所に定めたとされます。中世は越後国守護職を担った上杉家が庇護し仏餉料18石が寄進され、天和検地では18石8斗が安堵されていました。
特に長尾景直が帰依し永禄元年(1558)の奥州での戦で窮地に立たされた際、本尊が出現し身代わりとなって敵の攻撃を受けたとされ、現在、本尊に残されている傷はその時に受けた敵の刀の跡と伝えられています。又、境内に建立されている墓碑は「上杉家の墓碑」と呼ばれ長尾景直が母親の菩提を弔う為に建立されたとも云われています。
岩屋堂本尊の聖観世音菩薩像は泰澄大師が自ら彫り込んだとも伝わるもので(学術的には鎌倉時代前期作)、木造、一木造、像高90cm、像幅26cm、像厚15.6cm、上越市指定有形文化財、現在は50年に1度開帳される秘仏として信仰の対象となています。
岩屋堂の境内には苔むした石段や三十三観音石像、上杉家の墓碑、観音堂(上越市指定有形文化財、宝形造、桟瓦葺、桁行3間、梁間3間)、背後にある岩壁(弘仁4年:813年に弘法大師空海が書いたとされる梵字)など史跡が多く霊場にふさわしい空間になっています。
岩屋堂観音は御堂建築の遺構として貴重な事から昭和50年(1975)に上越市指定記念物(天然記念物及び名勝)に指定されています。越後三十三観音霊場第一番札所(札所本尊:聖観世音菩薩・御詠歌:補陀落や 名立の浦と 聞くときは 潮の音も 御法なりけり)。宗派:曹洞宗(名立寺が別当として管理)。
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