加賀の井酒造(糸魚川市)概要: 加賀の井酒造は案内板によると「 百万石を誇った加賀藩は、承応元年(1652)親不知や姫川の難所をひかえ、また、参勤交代が2千人の大名行列になるなどから、ここ糸魚川を宿泊の地としました。殿様の宿泊するところを本陣といい、加賀の井酒造(小林家)がその場所にあたりました。(糸魚川本陣) 殿様一行への心配りや、宿泊、往来のための警戒、気配りは町や村の大きな負担でもありました。小林家は、本陣の役と町年寄り(民間の総元締め)を兼ねて、江戸時代の終わりまで踏襲しました。前田候の拝領品、町方文書などが保存され、一部展示されています。」とあります。建築年代はよくわかりませんでしたが街道沿いに大きな間口の敷地は糸魚川の町並みの中でも異彩を放っています。前面は雪国特有の「雁木」又は「こみせ」と呼ばれるアーケードが設えていて糸魚川の町屋建築の特徴が見られます。加賀の井酒造の創建は慶安3年(1650)、販売元としては新潟県最古の酒蔵とされ、加賀藩だけでなく支藩である富山藩、大聖寺藩の参勤交代の際には藩主が宿所として利用しました。特に、献上した酒が加賀藩2代藩主前田利常が気に入り「加賀」の字の使用を許可したと伝えられています。
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