天津神社

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概要・歴史・観光・見所
天津神社(糸魚川市)概要: 天津神社は新潟県糸魚川市 一の宮1丁目に鎮座している神社です。天津神社の創建は不詳ですが伝承によると景行天皇の御代に勧請されたのが始まりと伝えられています。景行天皇は第12代天皇ですが、実在説と架空説があり、実在説でも在位年間は不詳の為、天津神社の明確な創建年は判りません(単純計算によると景行天皇の在位年は西暦71年〜西暦130年とされます)。一方、天津神社の境内からは滑石製平玉や滑石製平勾玉、刀身残片など弥生時代の遺物が多数発見され、古代の祭祀場から発展したとも考えられます。古代の糸魚川周辺は一大翡翠の産地で、翡翠で制作された祭具は祭祀に欠かせないものだった事から、糸魚川産の翡翠は広く全国へと運ばれていきました。そいう意味でも天津神社は格式の高い神社と思われますが、古文書等にはその名を見る事は出来ません。

その為、平安時代に成立した日本三大実録や延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳、朝野群載に記載され、尚、後継神社が判らない「大神社」だったのではないかという説があり、もし天津神社の前身が大神社とすると、貞観3年(861)に従四位下を賜っている事になります。当時の越後国に鎮座する神社の中では、弥彦神社弥彦村)と居多神社上越市)が同じく従四位下を賜っており、この三社が共に越後国一宮を称しています。ただし、大神社には論社が多く大神社(糸魚川市平字森本)、大野神社(糸魚川市大野字八幡山)、藤崎神社(糸魚川市藤崎)、大神社(上越市吉川区尾神)、関山神社(妙高市関山)があり何れも確証がありません。江戸時代中期の元禄3年(1690)に成立した「一之宮天津社並に神宮寺縁起」によると孝徳天皇(第36代天皇・在位:645〜654年)の祈願所だったとされ、これが正しければ飛鳥時代には既に中央にも聞こえる存在となり信仰が広がっていたとも考えられます。

当然確証はありませんが、天津神社に伝わる舞楽面である陵王(桐材、漆箔仕上げ)と納蘇利(桐材、黒漆仕上げ)は鎌倉時代後期作、石像如来坐像(総高57.0cm、像高 49.5cm)も鎌倉時代後期作、年代が明確なものとしては現在は経王寺に移されている梵鐘(高さ108cm、口径65cm)の銘が永享4年(1437)、所蔵している大懸仏(直径91.0cm、大檀那、大施主:比丘尼妙従)は文安6年(1449)の銘があり、中世には既に大きく繁栄した大社だった事が判ります。又、大懸仏の銘の中には「越後国沼河保一宮天津社」が刻まれている事から沼河保(糸魚川の古称)の一宮だった事が判ります。上記の石像如来坐像や大懸仏、梵鐘の他、現在宝伝寺が所蔵している「絹本双幅 四所明神、弘法大師画像(四所明神画像:縦101cm、横43.7cm・弘法大師画像:縦101cm、横43.7cm )」も高野山三宝院から天津神社の神宮寺に送られたもので、江戸時代までは仏教色の強い神社だった事が窺えます。

天津神社は旧糸魚川町(一の宮、押上、寺町、大町、七間町等)の産土神として信仰が篤く、江戸時代に入ると幕府から庇護され朱印地として100石が安堵されていました。古くから神仏習合し別当寺院として神宮寺が祭祀を司ってきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され明治6年(1873)に村社、大正7年(1918)に郷社、昭和18年(1943)に県社に列しました(神宮寺が所有していた梵鐘が市内に境内を構える経王寺に遷されています。梵鐘は新潟県指定文化財)。祭神:天津彦々火瓊々杵尊、天児屋根命、太玉命。

天津神社の境内社である奴奈川神社の創建は不詳ですが神話の時代黒姫山(高志峯・標高:1221m)の山頂に勧請されたのが始まりと伝えられています。延喜式神名帳で式内社として記載される奴奈川神社の論社とされ元暦2年(1185)に山崎の地に遷座し後に現在地に遷座したそうです。祭神である奴奈川姫神は地元神で、糸魚川市に残る神話によると大国主(出雲大社の祭神)の妻神で建御名方神(諏訪大社の祭神)の母神とされ周辺地域にはこれらの神々の伝承や逸話などが数多く残され、糸魚川一帯がヒスイの産地だった事から奴奈川姫神はヒスイと関係の深い神だったと推定されています。奴奈川神社にも論社があり、能生白山神社(糸魚川市能生)と奴奈川神社(糸魚川市田伏)があり何れも確証がありません。祭神:奴奈川姫命、八千矛命(大国主命)。

天津神社、奴奈川神社ともに社殿は古建築物で天津神社の拝殿(木造平屋建て、入母屋、茅葺、平入、桁行7間、梁間5間、外壁は真壁造り素木板張り、正面1間分は柱のみの打ち放し。)は寛文2年(1662)、幣殿(切妻、茅葺、桁行3間、梁間3間)は天明2年(1782)、本殿(三間社流造、銅板葺、総欅造り、棟梁:糸魚川出身の相馬十郎左衛門昌信)は寛政9年(1797)、奴奈川神社本殿(一間社流造、銅板葺)は寛政10年(1798)にそれぞれ建築されています。天津神社本殿は江戸時代後期に建てられた神社本殿建築の遺構として貴重な事から平成3(1991)に糸魚川市指定有形文化財に指定されています。毎年4月の例祭(4月10:けんか祭・4月11日:後祭)で奉納される「天津神社舞楽(通称:稚児の舞)」は当地方独特な形式で古式を伝える大変貴重な神事である事から、能生の白山神社の白山神社舞楽と共に名称「糸魚川・能生の舞楽」として、昭和55年(1980)に国指定無形民俗文化財に指定されています。

糸魚川は、松本城(長野県松本市)の城下町を結ぶ千国街道の起点となった宿場町でもあり、天津神社の境内社奴奈川神社の祭神である奴奈川媛命と出雲大社(島根県出雲市)の祭神である八千矛命(大国主命)が契りを結び生まれたのが建御名方命で、千国街道を利用して信濃国に進み、諏訪地方を開発し諏訪大社の祭神になったとも云われています。千国街道の街道沿いには諏訪神社が多く鎮座し、伝説と奇妙な一致を見せています。一方、諏訪大社が鎮座する諏訪地方は古代の黒曜石の産地で、千国街道を通して日本海側に運ばれ、海運を通して全国に拡散したとも考えられ、その際に諏訪信仰が広がったのかも知れません。

天津神社・奴奈川神社の文化財
・ 天津神社舞楽−例祭(4月10日・11日)に奉納−国重無形民俗文化財
・ 奴奈川姫神像−平安時代後期、像高45cm−新潟県指定重要文化財
・ 女神座像(3躯)−平安時代後期、像高45cm−新潟県指定重要文化財
・ 舞楽面(3面、附5面)−鎌倉〜室町:陸王・納蘇利・抜頭−県指定文化財
・ 本殿−寛政9年、三間社流造、銅板葺−糸魚川市指定有形文化財
・ 奴奈川神社随神像(2躯)−室町時代初期−糸魚川市指定有形文化財
・ 天津神社随神像(2躯)−室町時代後期−糸魚川市指定有形文化財
・ 天津神社大縣仏(2面)−室町時代中期−糸魚川市指定有形文化財
・ 如来坐像(石造)−鎌倉時代後期−糸魚川市指定有形文化財

天津神社:本殿・拝殿・写真

天津神社境内正面に設けられた神橋
[ 付近地図: 新潟県糸魚川市 ]・[ 糸魚川市:歴史・観光・見所 ]
天津神社参道に設けられた石鳥居と石燈篭 天津神社境内から見た拝殿右斜め前方 天津神社境内から見た拝殿正面 天津神社拝殿正面の柱と外壁
天津神社拝殿と幣殿の左側面 天津神社拝殿と幣殿の右側面 天津神社本殿と玉垣と石造狛犬 天津神社・奴奈川神社本殿と玉垣


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