東本願寺新井別院(妙高市)概要: 東本願寺新井別院は新潟県妙高市下町に境内を構えている真宗大谷派の寺院です。東本願寺新井別院の境内は元々新井願生寺という大寺院がありましたが、貞享元年(1684)に浄興寺(上越市)との教義異安心論争に敗れ、願生寺は廃寺となりました。
代わって貞享2年(1685)に本願寺第16代一如上人が裁定を取り持った縁で新井掛所を開山、以後寺運が隆盛し、高田別院や稲田別院などの支院や願楽寺、聞称寺、照光寺などの山内寺院を合わせて60余ヶ寺の崇敬寺院を擁する中心道場となっています。 延享4年(1747)の暴風雨、 寛延元年(1749)の暴風雨、 明和3(1766)年の火災、 天明元年(1781)の洪水、 天保14年(1843)の火災など何度も災害が降りかかっています。
東本願寺新井別院の現在の本堂は明治11年(1878)に火災で焼失後、明治28年(1895)に再建されたもので、木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、正面3間向拝付、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、桁行、梁間それぞれ十八間は木造建築として新潟県最大級を誇っています。
庫裏は明治11年(1878)に明治天皇北陸巡幸にあたり関山にあった宝蔵院(関山神社別当寺院:神仏分離令により廃寺)から庫裡を移築し行在所として利用されたもので歴史的にも意義がある建物です。
行事「報恩講」は上越地方最大の仏事とされ、200を超える露店が立ち並び、稚児行列や菊花展などが毎年11月に行なわれています。梵鐘は江戸時代に鋳造された貴重なものとして平成21年(2009)に妙高市指定文化財に指定されています。
境内には新井出身の画人森蘭斎(徳川御三家や加賀藩前田家などの御用絵師)の墓碑や松尾芭蕉が元禄7年(1694年)に詠んだ「人聲やこの道かへる秋の暮」の句碑(嘉永6年:1853年、俳人和田清風が中心になり建立された)、恵信尼公堂(昭和31年に恵信尼公の遺徳顕彰により創建)が建立されています。宗派:真宗大谷派。本尊:阿弥陀如来。
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東本願寺新井別院:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-森蘭斎顕彰会
・ 現地案内板(沿革)
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