上越市: 浄興寺

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概要・歴史・観光・見所
浄興寺(上越市)概要: 歓喜踊躍山浄興寺は新潟県上越市寺町2丁目6番地に境内を構えている浄土真宗浄興寺派の寺院です。浄興寺の創建は鎌倉時代の建保2年(1214)、宇都宮瀬綱(宇都宮家5代目当主、鎌倉時代前期の武士・御家人・歌人)の招きにより親鸞が笠間郡稲田郷(茨城県笠間市)に草庵(西念寺)を設けたのが始まりとされます。元仁元年(1224)に教行信証(浄土真宗の根本聖典:全6巻)を完成させた親鸞は喜んでこの草庵を歓喜踊躍山浄土真宗興行寺と名付け、嘉禎元年(1235)に親鸞が京に戻る際、住職を弟子である善性に任せ寺号を浄興寺に改めています。弘長2年(1262)に親鸞が死去すると遺言により浄興寺に埋葬されます。その後常陸板敷山(茨城県石岡市)、常陸磯辺村(茨城県常陸太田市)、信濃長沼(長野県長野市)、小市村(長野市安茂里)、信濃別府(長野県須坂市)と移転を繰り返し永禄10年(1567)に上杉謙信の招きによって春日山城の城下に境内を移します(謙信の後継者である上杉景勝が招いたとも?)。

慶長3年(1598)、上杉景勝は春日山城から鶴ヶ城(福島県会津若松市)に移封になると、浄興寺は新たに上越の領主(春日山城の城主)となった堀秀治の庇護となります。慶長11年(1607)に堀忠俊が居城を福島城に移すと福島城下に移り、さらに寛文5年(1665)に起こった地震(越後高田地震:死者1500人前後)で堂宇が大破すると高田城の城下町に移転しました。現在の浄興寺本堂は江戸時代前期の延宝年間(1673〜1681)に建てられたもので、木造平屋建て、入母屋、こけら葺、桁行28.2m、梁間27.8m、正面3間向拝付、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、寺院本堂建築としては新潟県最大級の建物で平成元年(1989)に国指定重要文化財に指定されています。山号:歓喜踊躍山。宗派:浄土真宗浄興寺派。本尊:阿弥陀如来。

浄興寺の文化財
・ 浄興寺本堂−延宝年間−入母屋、3間向拝付−国指定重要文化財
・ 絹本著色法然上人絵伝−鎌倉−縦156.3p、横82.3p−県指定文化財
・ 絹本著色少康和尚像−室町−縦87.2p、横36.3p−県指定文化財
・ 宝珠文刺衲袈裟並に横被−鎌倉−浄興寺2世善性所持−県指定文化財
・ 梵鐘−室町時代初期−高さ115.6p、口径74p−県指定文化財
・ 親鸞自筆六字名号−「建長七年乙卯五月廿三日書写之」−県指定文化財
・ 専修念仏張文日記−鎌倉時代中期−巻子装−新潟県指定重要文化財
・ 二枚起請文−室町−浄興寺8世周観が、書写−新潟県指定重要文化財
・ 真宗古写聖教類(32冊)−室町時代初期−和綴じ装丁−新潟県指定文化財
・ 本願寺歴代門主書状(30通)−室町時代−巻子装、紙本墨書−県指定文化財
・ 絹本著色二尊連座像−文明15年−縦86p、横35p−上越市指定有形文化財
・ 絹本著色親鸞聖人御絵伝−明応3年、縦141p、横81p−上越市指定文化財
・ 絹本著色親鸞聖人等身真影−江戸前期−縦103p、横6p−上越市指定文化財
・ 屈輪香合−南宋〜元−径11.0p、高さ3.4p−上越市指定文化財
・ 親鸞聖人本廟及び唐門−明治21年−棟梁:篠田宗吉−上越市指定文化財

浄興寺:写真

浄興寺境内正面に設けられた山門
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浄興寺山門から見た境内 浄興寺参道石畳から見た本堂正面 浄興寺本堂右斜め前方 浄興寺境内に設けられている親鸞聖人御本廟拝堂
浄興寺親鸞聖人本廟唐門と隙塀 浄興寺親鸞聖人本廟唐門の彫刻 浄興寺境内に設けられた鐘楼と梵鐘 浄興寺境内に建立されている親鸞聖人銅像


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