上越市(歴史)概要: 上越市は古くから越後国府が設置されていた所とされ、五智国分寺や居多神社など由緒ある社寺が点在します。又、親鸞が上陸した地とも言われ、直江津周囲には国府別院など親鸞縁の史跡が多く点在しています。中世は春日山城を居城とした上杉謙信の本拠となり越後を中心に巨大な領域を支配します。
謙信が死去すると後継ぎ争いである「御館の乱」が起こり景勝が勝利したものの大きく領土が後退します。景勝は豊臣秀吉に臣従することで地位を固め、五大老に抜擢されると会津に移封させられ120万石の大身となります。代わって堀秀治が30万石で春日山城に入り代が変わった後の慶長12年(1607)に直江津の福嶋城に移ります。
堀家が御家騒動により改易になると松平忠輝が65万石で福嶋城へ入り、すぐさま高田城を築城、慶長19年(1614)に高田に移り事実上高田藩が立藩します。元和2年(1616)に忠輝が改易されると酒井家次、松平忠昌、松平光長、稲葉正往、戸田忠真、松平定重などが短期間の内に次々に藩主が変わり要衝の地でありなが左遷場所のような扱いを受けます。
榊原家が15万石で入るとようやく安定し現在の上越市の基礎を築きます。上越市は城下町と北国街道の宿場町として発展し領内の中心として繁栄しました。高田藩は戊辰戦争の際、越後諸藩の中では比較的早く新政府側に恭順姿勢を見せた事で長岡や会津攻めの先鋒となり大きく貢献しました。その後の高田藩は明治4年(1871)に高田県となり、後に柏崎県を経て新潟県に編入されます。
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