吉木陣屋(妙高市)概要: 由来を記した石碑によると「 吉木陣屋は、越後騒動によって松平越後守の旧領地の過半が天領となったのを受け、それを支配する役所として置かれた。その期間は貞享元年(1684)より享保8年(1723)までの39年間である。陣屋の跡地は郷倉となった。蝋点所は最初上越市大貫に置かれていたが、そこが稲葉丹後守領となると、魚沼郡小千谷と頸城郡吉木に分置された。吉木蝋点所は陣屋と同じ敷地内に棟続きに建てられていた。」とあります。現在は遺構のようなものは見当たらず敷地奥には西俣古墳があります。越後騒動とは延宝2年(1674)、高田藩(藩庁:高田城)の藩主松平光長の後継者を選ぶ際、起こった御家騒動で光長の義弟である永見大蔵方の「お為方」と高田藩上代家老を歴任した小栗美作方の「逆意方」が対立し幕府の裁定を仰ぐ事になりました。5代将軍徳川綱吉の命により光長は領地没収の上、伊予松山藩(愛媛県松山市)に預かりの身となり永見大蔵は流罪、小栗美作は切腹、関係した大名は概ね半分の石高になり移封されました。
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