十柱神社(弥彦村)概要: 十柱神社は新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦(弥彦神社の境内)に鎮座している神社です。十柱神社の創建は元禄7年(1694)長岡藩3代藩主牧野忠辰が牧野秀成の御霊を鎮める為、越後国一宮とされる弥彦神社境内に五所宮を建立したのが始まりと伝えられています。
伝承によると牧野秀成は初代藩主牧野忠成の異母兄弟で、忠成より人望が厚く優秀だった為、藩内でも大きな派閥を形成、不穏と思った忠辰は秀成を椿沢寺(見附市)に幽閉しその後、毒殺、又は自害へと追い込んだとされます。秀成の死後、牧野家では忠辰の嫡男光成が急死、それが元で御家騒動が起きるなど不幸が続いた為、秀成の祟りと悟り十柱神社に祀ったと伝えられています。
当時の五所宮(後の十柱神社)の祭神は大己貴命と犠牲になった牧野秀成、牧野保成(忠成の祖父である成定の叔父、当時は牧野氏の中心的な人物でしたが徳川家と対立し敗北。その後の消息は不明で、長岡牧野家関係の人物が撲殺し祟りを恐れて祀ったと推察する人もいます)、神戸赤左衛門(詳細不明、家臣に神戸文九郎という人物がいるが関係性は不詳)、宮内卿女(詳細不詳、ただし、当時の牧野家では多くの女性が暗躍し犠牲も多かったとされます)の牧野家関係四霊神とされ、祟りを恐れていたのか、歴代長岡藩主が篤く崇敬し社領の寄進など庇護しています。
明治4年(1871)に廃藩置県により長岡藩が廃藩になると、五所宮(後の十柱神社)の祭神の殆どが長岡藩や藩主牧野家縁の人物だった事から扱いに苦慮し、明治6年(1873)、当時の県令楠本正隆の命で信濃川の大河津分水工事の時に守護神として旧渡部村腰巻山に祭った神々である弥彦大神、彌都波能賣神、速秋津日子神、速秋津日女神、阿須波神、波比岐神、大山祇神、大地主神、埴山姫神、草野姫神 を合祀しています。
その際、弥彦大神は弥彦神社に奉遷し牧野家関係四霊神(牧野秀成、牧野保成、神戸赤左衛門、宮内卿女)を廃祀し10柱となった事で、社号を「十柱神社」と改称し弥彦神社の境内末社となっています。
現在の十柱神社社殿は創建当時のもので木造平屋建て、入母屋、茅葺、単層、桁行き3間、梁間3間、妻入、正面1間向拝付、外壁は素木板張、素地造。十柱神社社殿は数少ない江戸時代中期の神社社殿建築の遺構で蟇股、虹梁などの細部に桃山文化の手法が見られる建物として大変貴重な事から昭和26年(1951)に国指定重要文化財に指定されています。
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