福井宿(新潟市)概要: 多少離れていますが江戸時代に三根山藩(峰岡藩)の藩庁が置かれた三根山陣屋が設置され、北陸道の宿場町であると同時に城下町として意味合いが強い町です。近代に入り主要幹線道路から外れた事で拡幅工事が行われていないようで、建築年は分かりませんが切妻、妻入りの町屋が連続して続き当時の雰囲気が残されています。三根山藩は長岡藩(新潟県長岡市:長岡城)の支藩で牧野忠成の4男定成が6千石を与えられ三根山の領主となり、文久2年(1863)忠泰の代で1万1千石が認められ三根山藩を立藩しています。戊辰戦争の際は本藩である長岡藩に従い奥羽越列藩同盟に参加し新政府軍と対立し、敗戦後には疲弊した長岡藩に100俵の米俵を供出し「米百俵」の舞台にもなっています。小藩だった為、廃藩置県後は急速に衰退し都市化には至りませんでした。福井宿には三根山藩主の菩提寺である一山寺(一山寺の境内には歴代領主となった牧野家の墓碑が建立されています。)や越後三十三観音霊場第24番札所の景清寺、名水として知られた平沢清水、鎮守である三根山神社、旧庄屋屋敷(旧佐藤家住宅)などが残されています。
|
|