諏訪神社(魚沼市四日町)概要: 諏訪神社の創建は不詳ですが古くから藪神郷の総鎮守として広く信仰されてきました。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載された伊米神社又は川合神社の論社でもあり格式が高かったとされます。
歴代領主からも崇敬庇護され慶応4年(1868)には郡奉行に赴任してきた会津藩士町野主水(源之助)が迫り来る新政府軍との戦に備え武運長久の祈願を行っています。
所謂北越戦争の1つ小出島の戦いでは諏訪神社の境内も激戦が繰り広げられ10数人が戦死したとされ本殿にはその時のものとされる弾痕の痕が残されています(小出島は会津藩の飛地や藩が管理する天領などがあり、当地域の会津藩最大の拠点として戦力が導入され激戦となりました。町野主水は小出島を退いた後も各地で転戦し大正時代に没するまで会津の為に奔走した為、最後の会津武士とも云われました)。
諏訪神社境内には推定樹齢300年を越える大木が数多く存在しその内、欅20本(最大のものは幹周6.5m)、杉44本が魚沼市指定天然記念物に指定されています。祭神は建御名方神、少彦名命(合祀)。
境内にある大石は慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで、会津黒川城(福島県会津若松市)の城主上杉景勝に呼応した上杉遺民一揆を抑える為、当地まで進軍した坂戸城(新潟県南魚沼市)の城主堀丹後守直竒が一揆方の銃弾から身を守ったとされるもので「丹後跳ね越しの石」と呼ばれ信仰の対象となりました。社殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、正面1間向拝付き。
諏訪神社:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 越佐の神社 式内社六十三-株式会社 新潟日報事業社
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