【 菩提者 】
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田中家は新田一族で新田氏本宗家の初代とされる新田義重の庶長子である里見義俊(別称:大新田太郎・里見四郎太郎・竹林(高林)六郎太郎)の次男義清が田中郷を与えられ田中氏を称したのが始まりとされます。現在の群馬県太田市新田上田中町にある長慶寺が田中家の菩提寺で境内は居館跡だったと推定されています。田中義房(田中大炊介源義房:田中大蔵)は義清から5代後裔とされ、田中荘(妙高寺の縁起では田中荘は伊豆となっていますが、新田氏の一族の田中氏の出身は上野国新田荘田中郷であることから混乱があります。もし、伊豆国田方郡田中郷出身の田中氏ならば桓武平氏北条氏流となり北条氏一族だった事になります。愛染明王像は源頼朝も信仰したとあるので伊豆に関係が深いとも言えます。?)から愛染明王坐像(インドの仏師昆首羯磨の作、桧材、寄木造、像高124cm、三眼六腎、宝瓶、紅蓮華座−国指定重要文化財)を遷座し菩提寺である妙高寺(小千谷市)を創建しています。当時の義房は新田義顕(新田義貞の長男)の家臣、南朝方の武将の1人で内ヶ巻城(小千谷市指定史跡)の城主として近隣20箇村を支配していました。城の規模からいっても一定以上の勢力があったと見られ、後裔は戦国時代まで当地を支配したと思われます。妙高寺の境内には田中義房の墓碑が建立されています。
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