三条市: 八木神社

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概要・歴史・観光・見所

八木神社(三条市)概要: 八木神社は新潟県三条市北五百川に鎮座している神社です。八木神社の創建は不詳ですが大同2年(807)には八木ヶ鼻山山頂に既に八木大明神と祭る社があったとされ、守門大明神が勧請されたと伝えられてます(八木ヶ鼻山自体も断崖絶壁の奇観の容姿をしていることから創建以前から自然崇拝的な信仰があったように思われます)。

延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載された式内社「伊加良志神社」の論社で古くから信仰されてきました。ただし、伊加良志神社は三条市飯田字宮浦に鎮座する五十嵐神社も同じく論社となっています。

南北朝時代には南朝方の武将である新田義宗(新田義貞の4男)が当地を拠点として北朝方と対し、八木神社を深く崇敬した事から、後に新田家の四御霊が勧請合祀され神像が祀られるようになりました。江戸時代後期の天保9年(1838)には後裔の新田重基が、先祖縁の当地を訪れ「八木やまの こかげ涼しく わき出でし清水は 神の恵みとぞおもふ」と詠い、文久3年(1863)にはその歌碑(神恵泉碑)が建立されています。又、新田氏の縁のある神社とされ神紋も新田氏の紋「丸に一引両」になっています。

戦国時代になると高城城主長尾氏の崇敬社となり例祭日には城主が参拝し太刀などを寄進していたそうです。江戸時代に入ると歴代村松藩(藩庁:村松城)の藩主堀家が下田郷の鎮守として信奉加護し、ハヤブサ彫刻額一対の奉納や祭祀料の寄進などを行い、藩士である笹岡茂三左衛門は長床を造営しています。

古くから神仏習合し明治以前は「八木・守門大明神」などと呼ばれてきましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が排され社号を「八木神社」に改め明治5年(1872)には村社に列しました。現在も境内に不動堂(火神社)や神明子安社(子安観音が祭られていたと思われます)の堂宇が残されているなど神仏習合の名残が見られます。

八木神社の本殿(万治元年:1658年、二間社流造、板葺、正面向拝付、八木大明神と守門大明神を祀る二社相殿)、拝殿(明和5年:1768年、入母屋造、梁間4間、桁行き3間半、銅板葺き、元茅葺、外壁は真壁造板張り)、幣殿(明治11年:1878年、両下造、銅板葺き、外壁は真壁造板張り、棟梁:野口善一)は貴重な事から平成17年(2005)に三条市指定有形文化財に指定されています。

八木神社境内は神域だった為古木大木が多く、中でも推定樹齢200年、幹周5.5mと推定樹齢300年、幹周4.9mの2本の大杉が下田の名木に指定されています。祭神は八木大明神(倉稲魂命) 守門大明神(豊磐間戸命、櫛磐間戸命)、新田義貞、新田義顕、新田義興、新田義宗、大山祇命、高雨龍命、誉田別命、天照皇太神。

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八木神社:上空画像

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(八木神社 本殿・拝殿・幣殿)-三条市教育委員会
・ 現地案内板(神橋 八木橋の跡)-下田郷文化財調査研究会
・ 越佐の神社 式内社六十三-株式会社 新潟日報事業社


八木神社:ストリートビュー

八木神社:写真

八木神社境内正面に設けられた朱塗りの大鳥居と石燈篭
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八木神社参道と雰囲気のある杉並木の大木 八木神社参道石畳みから見た拝殿正面 八木神社本殿覆い屋と幣殿 八木神社不動堂(火神社)の脇に生える杉の大木


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